すべての夢のたび。

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なぜ人は音楽に心を動かされるのか?

最初にイイワケをしておきますが、このエントリの内容は無保証です。その上、結論は身も蓋もないです。


なぜ人は、音楽を聞いて心が動くのか。それは以前からぼくの関心事項でした。映画や小説で感動するのはわかります。(人は基本的に)甘いものが好きで苦いものを好まないのか、その理由もわかる。暑い寒いとか疲れた気分悪いとか、そういう状況を嫌うのも、わかる。

音楽で心が動くと言ってもいろいろあって、たとえば歌い手が歌に込めた感情がダイレクトに伝わってくるとか、歌詞から情景が目に浮かぶとか、その歌が流行っていたときの自分を思い出してしまうとか、そういうのなら、わかるんです。そうではなく、ぼくがわからなかったのは、音楽の最もプリミティブな形態、コードになぜメジャーやらマイナーやらがあって、明るく晴れやかな印象や、暗く寂しげな印象を心に呼び起こせるのか、ただの音と音の組み合わせになんでそんな技が可能なのか、それがわからなくてずーっと不思議に思っていたのです。


共感覚、というものがあります。有名なのは「文字に色が付いて見える」というヤツですね。他にも「音で色が見える」「匂いで形を感じる」等いろいろとあるようです。このうち一番メジャーな「文字→色」の共感覚について、最近の研究で「脳内のニューロンに誤結線がある」らしいことがわかってきたようです。実は脳内で文字を扱う部位と色を扱う部位は、非常に近くに位置している。そして文字を扱うニューロン群の一部から伸びる軸索が、色を扱うニューロンにつながってしまっているらしい(ちなみに、この共感覚は遺伝性らしいです)。

そうなんだー、なら仕方ないねー、とでも言うほかないほど、とてもシンプルなロジックです。文字で色が見えるのは実はそういうわけだったと。しかしこれに類似した感覚は、実は普通の人だってちゃんと持っているんです。

「ブーバ・キキ問題」というものです。さて、どちらが"ブーバ"で、どちらが"キキ"でしょうか? 聞かれれば、わかりますよね。実はこの問題、人種や言語にまったく関係なく、非常に高い確率でこっちがブーバ(booba)でこっちがキキ(kiki)と言い当てられるそうなんです。どんな未開の地の民族に聞いてみても、当たる。しかし、じゃあなんでそう思うのか?と聞かれると、誰もちゃんと説明できない。(「"キキ"のほうが◯◯な感じがするから」「じゃあなんでそう感じるの?」)

他にも人は「柔らかな色」「冷たい音」「優しい香り」「丸い味」等と、ある感覚を他の感覚にたとえることができます。なぜそう思うのかはわからない、しかし多くの人の間でそれらはほとんど一致している。ならばそれはもう、脳がそうなってるから、としか言い様がないのではないでしょうか?(進化の過程で獲得した、と言ってもいいですが)

というあたりでだいたい見えてきたと思うのですが、「なぜ人は音楽に心を動かされるのか?」という問いに対してぼくが辿り着いた結論は、まったく呆気ない、「単にそういうものだから」というものです。ある音の組み合わせを人は明るいと感じたり、別のを暗いと感じたり、するものなのです。文字を扱うニューロンと色を扱うそれがダイレクトに繋がっている共感覚の場合と同じで、そこに理由の挟まる余地はないのです。人の脳はそうなっているのだろう、と、そういうことです。音楽によって呼び起こされる感情は複雑なものですが、RGBの3原色や5つの基本味(甘酸塩苦旨)と同じように、それらもたぶん原初的ないくつかの感情の組み合わせとバランスなのだろうなと考えています。


実際にこのことが脳内でどう実現されているのかは、よくわかりません。おそらくは、共感覚のように明らかなニューロンの誤結線があるのではなく、音を処理するニューロンから感情を扱うニューロンへの信号漏洩みたいな軽いレベルの「絡まり合い」なんじゃないかと想像しています。脳は機能によってモジュールのように分けて捉えることができますが、形態としてはそこまで明確に分割できるわけではない。他のモジュールとの間に壁があるわけではないので、信号の漏れが隣の部位に伝わったりするのでしょう。実際、まるで池に投げた石から水面に波紋が広がるかのように、脳の活動範囲が一点から脳全体に拡大する映像もありますし。

また、完全に先天的なものでもないだろうとも思っています。というのは、西洋的な12音音階のメジャーコード・マイナーコードを聞かせても私たちのような「明るい」「暗い」という感覚に繋がらない民族がいるらしいからです。おそらくごく基本的な音と感情の関係性は初めから存在するのでしょうが、幼児期の学習でそれらが強化・固定するのではないかなーと思っています。素朴な民族音楽(ここで「素朴」ということばが浮かぶこともまた不思議です)のみを聞いて育ったり、アニメや子供向け番組のBGMで育ったりすることで、音楽を聞いて呼び起こされる感情が違ったものになっていくのでしょう。


こんなふうな理屈を考えだすことで、当初の問いは問いでなくなり、ぼくはもう「人が音楽に心を動かされること」に不思議さを感じなくなってしまいました。夢がないとかツマンナイとか、こんな理屈じゃ納得できん!という方もいらっしゃるでしょうけど、ぼくとしてはこれで自分を納得させることができているので、さて次の問題に取り掛かれますというわけです。