すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

クラウド化された世界へ

さて、WWDCが始まりましたが、ジョブズの基調講演はほとんど新iPhoneであるiPhone 4の話ばかりで、クラウドiTunesについてはまだなにも語られませんでした。おおかた、いつものように、レコード会社と著作権(というか、お金の取り分)の話でもめているのだろうと思います。iTunesはCDから楽曲を取り込むこともできますが、それをサーバにアップロードして何時でも何処でも聴けるようにすることは、私的録音の範囲を超えているのではないか、そのあたりが、権利者側には想定外の事態なんじゃないかと思ってます(というより、新たな「お金を取るチャンス」だと考えてるんでしょうね)。

iTunes Storeで買った楽曲は、どういうわけか、現在は再ダウンロードができません(iPhoneのアプリは再ダウンロード可能)。なので、HDDに保存された楽曲のデジタルデータは、目に見える形こそ持っていませんが現実世界のモノ同様の価値を持ち、紛失しないようバックアップを取っておくことが推奨されています。

ですが、これがクラウド化されたらどうでしょうか? 一人ひとりがクラウドiTunes上に何GBかのスペースを持ち、iTunes Storeで買った曲をそこに保存するのでしょうか? たぶん、そうはならないですよね。100万枚売れるアルバムがあったとして、同じデータを100万人分のディスクスペースにコピーするのは全くの無駄でしかありません。マスターデータがひとつだけあり、あとは、100万の人間がそれを買ったという情報さえあれば良いわけです。

さて、こういう時に、ほんとうはぼくたちは何を買っているのでしょう? 曲を聴く権利でしょうか? お金を払うと、曲が聴ける。このことは、今のiTunesだろうとクラウド化されたiTunesだろうと、タワレコでCDを買ってきてCDプレイヤーで聴くのだろうと変わりません。でも買ったCDは後で売ることができますが(売る前にiTunesに取り込んでおくこともできる!)、iTunes Storeで買った曲は他人に譲渡できませんし、HDDが壊れたら再度お金を払わないと聴けません。そしてクラウドiTunesでは、ひとつのマスターデータが、曲を聴きたい人がいる限りいくらでもお金を生み出すことになる。さらに言えば、多くの曲はYouTubeやニコニコ動画に誰かの手でアップロードされており、元からタダで聴くこともできるわけです。

こうなると、自分たちはいったい何に対してお金を払っているのか、よくわからなくなってきます(利便性……でしょうか?)。わからないまま、わからないなりになんとなく納得して、お金を払って、曲を聴いている。問題がなければ、これでいいのでしょうけど、しかし裏ではきっと熾烈なお金の奪い合いが行われているのでしょうね。


昨日のエントリ(で引用したエントリ)中に、「人生の思い出をiTunesに預けてしまって、どうやってAndroidに移行できるだろうか」というフレーズがありました。ここんとこで、おお、とぼくは思ったわけなんですね。ぼくたちは、音楽データや、旅行に行った時の写真、録画したアニメ、ブログに書きためた文章、裁断しスキャンされた本、それとかMMORPGのキャラやアイテム、ラブプラスの彼女、そういった形もない/複製可能なデジタルデータを「価値あるもの」と見なすことができる。見なすことができるというより、もっと強烈にそれらに縛られて、HDDにせっせと溜め込んだりして、ときどきはそれが壊れて呆然としたり嘆いたりしている。

形のある、現実世界に凛として存在する物体ではなく、非実在/抽象/空想に価値を見い出すことができる。それはある意味で「ごっこ遊び」なわけです。でもこのごっこ遊びができるということは、人間はやはり動物とちがい、生物としては一段高い精神性を持っているのだろうと思います。


ところでSFでよくあるネタに、電脳化、人間の脳のコンピュータでの置き換え、というものがあります。もし電脳化が可能なら、それは人の精神活動をコンピュータのゼロと1で表現する/置き換えることができるということですから、当然この肉体すらもなしにバーチャルな電脳空間にそのまま住まうこともまた可能である、ということになります。もしかすると、いまぼくたちが「人生の思い出」をせっせとデジタル化してクラウド上に溜め込んでいるのは、来るべき日、この地球が核やら環境破壊やら温暖化やら資源の枯渇やらで人の住める場所ではなくなり電脳空間に移住する日、に無意識に備えてのこと、引越し準備なのかもしれません。さて、あなたの大切なものはデジタル化可能でしょうか? それはクラウドに持ち込めるものですか?