すべての夢のたび。

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重い・硬い・ざらざらした

固い椅子に座ると判断も厳しくなる。重いクリップボードを持つと判断も重いものになりがちだ――物理的な感触と社会的な認知の関係について研究する科学者たちはそう述べている。

「人は、物理的な体験として世界を理解している。最初に発達する感覚は触感だ」と、今回の論文を執筆した1人であるマサチューセッツ工科大学(MIT)の心理学者Josh Ackerman氏は述べる。成長するにつれて、これらの触感が、より抽象的な社会的経験を概念化する上でも使われるのだという。重さは努力を連想させ、ざらざらした感触は摩擦、固い物質は柔軟性の無さを連想させるように。

被験者が、[履歴書を見るのに]重いクリップボードを持っていると、求職者が真剣に職を求めていると捉える傾向が強くなり、また、自らの判断を特に重要なものと考える傾向を示した。

通行人に、アンケートに回答してもらうという別の実験でも、やはり重いクリップボードを手にしていたほうが、社会活動に対する政府の財政支援について、より大きな金額を支持する傾向が高くなったという。

また、どのようにも判断できる内容の社会的なやり取りの話を聞かされた場合、ざらざらした手触りのジグソーパズルを組んでいた被験者は、話に登場する人の行動を、より協調性に欠けた、冷淡なものと捉える傾向が強かった。反対に、なめらかな手触りのパズルを組んでいた被験者は、話の内容についてそれほど悪い印象を持たなかった。

面白い研究ですね。こういうの、すぐ、んなことあるわけねー、とか言う人もいると思うんですけど、充分あり得ることだと思います。感情と理性は密接に結びついているわけです。

でも、面白いけれど、なんとなく予想範囲内というか。予想範囲内というのは、例えばここで「重いクリップボードを持っていると、求職者が適当に職を求めていると捉える」ということは、起きないということです。

もしあなたが、「手に持ったクリップボードの重さによって、人の判断が真剣になるか適当になるか偏る。仮にそういうことがあるとしたら、重いクリップボードを持った場合はどちらになると思いますか?」と問われたなら、多分答えを誤ることはないと思うんですよね。

これが手触りなら、「真剣」は"なめらか"より"ざらざら"だろうし、温度なら"温かい"より"冷たい"が、音楽なら長調より短調が「真剣」になると想像されます。以前紹介したブーバ・キキ問題みたいに、どういうわけか連想される内容はうまく結びついているんでした。


考えてみたらごくふつうのことかも知れません。言っていることは要するに、人の考えることは気分で変わるよ、と、ただそれだけのことですからね。ただ、意識できないほど微妙なものであっても思考内容に影響を及ぼすと、それだけです。そして多分一方通行ではなく、考えていることが気分に及ぼす影響もまたあるのだと思います。このふたつは相互に浸透しあっている。

暇な人は試してみてください。椅子に座ってリラックスするなり、ベッドに寝るなりして、体の力を完全に抜きます。だらーんと。そしてここで、怒ってみる。何か自分の過去の、あれだけは許せない、みたいなことを思い出してみる。すると、リラックスしたままやろうとするそれが、結構難しいことが分かると思います。仮に出来たとしても、体の状態をチェックしてみると、どこかに力が入ってしまっていることが多いです。ぼくの場合なんかは、足の指とかに出ますね。全身を楽にしたつもりでいても、足の指だけが、くっ、と内側に曲がってしまってたりする。それとか腕に力が入ってたり。会社での仕事中にでも、どこか体に緊張がないか、チェックしてみると面白いです。逆に、なんかイライラしてるときは、とにかく体の力を抜いてみるのがよいです。まぁライフハックというほどのことでもないですけど。