伊藤計劃の小説『虐殺器官』に「虐殺の言語」というアイデアが出てきます。
舞台は内戦状態から虐殺がまかり通っている紛争地帯。
主人公はアメリカ情報軍のシェパード大尉。この時代、アメリカの軍隊は陸・海・空・海兵に情報軍を加え5軍体制となっている。特殊部隊所属で、任務は殺し屋。
ターゲットはジョン・ポールなる人物。ITやPRなど情報化戦略の専門家で、東ヨーロッパ、インド北部、アフリカ中央部など各国で文化情報を担当している。
問題は、このジョン・ポールの行く先々で内戦状態となり必ず虐殺がおこること。
この虐殺はジョン・ポールの仕業とにらんだ情報軍が、シェパード大尉らの暗殺部隊を送り込むというのが大きなあらすじ。
「虐殺には文法がある」というジョン・ポール。虐殺に至るプロセスは、人間の遺伝子には言語を生み出す器官があり、その器官に向けて巧妙に繰り返し虐殺の言語を吹き込むことによって内戦が起こり虐殺が始まるというもの。
昨日のエントリの最後で、ぼくは「それでも最近考えてること、の一つは、自殺しちゃいけない理由ってないよなぁ、ですね」と書きました。そう書きつつ、あれなんかちがう、と感じていたのです。
実際に考えているのは、もう少し先まで歩を進めたことでした。「自殺しちゃいけない理由はない」ではなく「自殺はしていい」ということ、もう少し積極的に、そう言いたい。
つまり、「虐殺の言語」ではなく、人がそれを聞くことで死にたくなるような「自殺の言語」を創りたい。
まぁ「虐殺の言語」はあくまでSFですので、ぼくが考えているのは、「自殺ってのもそんなに悪い選択じゃないのかもなぁ…」と聞いた人がフッと考えるようになる、それなりに説得力のある主張ひとセット、みたいな感じになるのでしょう。
なんでわざわざそんなことをするのか? ひとりで勝手に死んでろよお前! …という向きもありましょうが、理由を強いて言えば、その自殺の言語がもうぼくの中にすでにあって、そいつが「ひろめろ」って言うからなんですよw いいことなら、ひろめたくなるでしょう? そっか、自殺は悪いことじゃないんだ、と気がついたときに、こうなる流れだったんだろうなぁ。
のんびり考えてます。のんびりなので、ただの(ぼくの)死の訪れのほうが早いかもしれませんw