すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

猫は考えるか?

東京永久観光:言葉なしの思考は無理でも言葉なしのインターネットなら?


今朝がた読ませていただいて、ふっと思い付いたことを1行コメントに書きました。どこかで読んだ本に書かれていたのをただ思い出しただけな気もしますが。

思い付きですが、「考える」とは、言語による世界のシミュレーションではないでしょうか?


人間という生物がこれだけ繁栄している理由は、ぼくは「両手がフリーになったこと」より「言語が使えるようになったこと」が大きいと思っています。

生物の進化過程をすごく大雑把に俯瞰します。ごくごく単純な生物が生存競争に使えるのは「反射」だけです。光から逃げる。熱いものから逃げる。動くものから逃げる。食物の方に移動する。脳のない生物でもこういうことはできます。ただし、反射行動の条件はハード的に決まっていて、後から書き換えることはできない。

もうちょっと進化すると脳ができて、「記憶」が使えるようになります。あちらの方角の食物はもうなくなった。あの動物は危ないから逃げなくてはいけない。そういったことを記憶して、単純な反射行動を上書きし、状況にあった行動ができるようになる。

そして人間、いよいよ「言語」を使えるようになります。すると、今までいくら溜め込んでも死んだら終わりだった記憶が、世代を超えて伝えることができるようになる。記憶の外部化です。おそらくそれができるようになったあたりで、原人間からの爆発的な発展が始まったんじゃないかと思ってます。人という生物は自然淘汰を待たずにどんどん環境に適応していけるようになったわけです。

(ちなみに、進化にはもう一段あって、ついに人間は突然変異まで自ら起こせるようになってきているのだと思ってます)

で、これも想像なのですが、最初は言語はコミュニケーション(=現在)に使われており(まぁ動物の鳴き声の発展形だと思うので)、それから記憶(=過去)に使われるようになり、さらにそのあと「現実ではない、ありもしないことを話す」という形で、思考(=未来)、考えることに使われるようになったのじゃないでしょうか?


「考える」という言葉の用法から「"考える"とはなにか?」を考えてみます。思いついたそのままの行動や、場当たり的な行動は「何も考えていない」と評されます。逆に言うと、「考えている」とは、「現在の見かけの行動とは遊離している」というニュアンスを暗に含むのではないでしょうか? 「考え事をしながら歩くと危ないよ」などとも言われますし。人はシャワーを浴びながら考え事をしたりもできる。シャワーを浴びるという行動は自動化されているので脳が遊んでいるからだと思います。

ぼくも、tokyocatさんの言うように、考えるとは「脳の内部だけの入出力を指す」もの、直接外部には繋がらないものと考えています。考えるとは言語による世界のシミュレーションであり、つまり「考えて行動する」とは「シミュレーションの結果(をいったん記憶し、それ)に基づいて行動する」ということだと思います。


で、掲題の「猫は考えるか?」ですが、ぼくは猫は考えないと思っています。いや、猫だってなんか考えてるよ!と言いたい人がいるのはぜんぜんいいです。ぼくは猫が考えるかどうかは単に「考える」という言葉の定義の問題だと思っていて、つまりぼくによるその定義が「言語による世界のシミュレーション」である以上、言葉を話せない猫は考えることもしない、と思うだけなのです。あの、なにか考えているような表情は、人間側の読みすぎだと(笑)。

じゃあ猫の脳内にはなにもないのか、というとそんなことはもちろんなくって(豊かな感情を持ってますし)、猫だっていろいろ記憶はしているわけですから、当然五感を通じて得たイメージは脳内に飛び交っているんじゃないかと思います。食べ物のイメージ、暖かい場所のイメージ、嫌な音のイメージ、飼い主のイメージ。ただそれらを猫は「思う」だけで、それらを組み合わせて「考える」ことはできないのではないでしょうか。人間と会話をするチンパンジーなどを見ても、結局のところは単語の羅列によるコミュニケーションができるだけのようですし。