すべての夢のたび。

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全知全能の神は


ネタを提供してくださったのでいろいろ考えてみました。

「全知全能の神は自分で持ち上げることのできない石を作ることができるか」という命題があって、一般的には、その概念は矛盾してるので従って全知全能の神は存在しない、というふうに話が流れていくことが多い気がします。

ちょっと考えてみました。まずひとつ。全知全能の神はぼくらの脳を作り替えて(なにしろ全能だから)「ああ、いま確かにあの神は自分で持ち上げることのできない石を作っ(て持ち上げ)た!」と感じている状態を生み出すことができるのではないか、というものです。これは意外と簡単なのではないでしょうか。なにしろぼくらは暗示にもかかるし錯視もするし、神様なんていないとかいいつつ初詣にも行くw それに、"何かが起きている"ことを最終的にぼくらが知るのは、結局ぼくらの脳の働きによるもので、そのことは間違いない(と今の世の中ではされている)からです。もしかして神のお出ましを願うまでもない、実は易しい話なのではないか?

もひとつ。全知全能の神は"「自分で持ち上げられない石を作ること」が矛盾ではない論理体系"を作ることができるのではないか、というものです。ぼくらの使っている論理体系そのものを書き換えてしまうことができるかも知れない。なにしろ全能なので。矛盾してるからできない、なんて言い出す人たちは"全能"の概念をナメきってると思う。だってなんでもできるってことですよ、全能ってば。例外なしなんですよ? できないことがもしあったらそりゃ全知全能の神じゃないってだけですよ。


そうなんですよね。論理法則は人間の摂理なんです。ぼくは昔物理学がよくわかってなかったので(今もですが!)、物理の法則というのは何の性質なんだろう?と思っていました。水が0度で凍り100度で沸騰するのは水の性質ですよね。でも、ここに地球があって、あっちのどこかに別の星があって、その間には「真空」があって、ほんとに原子のひとつぶwもない空間が延々続いていたりするのに、こっちとあっちで同じ物理法則が働くのであれば、これは空間(と時間)に組み込まれてる性質なんだろう、と考えたわけです。なにもない空間にはなにもないわけではないんだと。そこは"物理法則が働くという性質"で埋め尽くされているのです(日本語の使い方が適当すぎる)。

では、1+1が2になるのは、なんの性質なのか? これも物理法則と同じように時空間の性質なのか? おそらく、違うんですね。地球で1+1を計算すると2になる。では、宇宙の果てまで行って1+1を計算すると、どうなるでしょうか。3になるかも? ぼくの考えた答えは、それを人間が計算する限り、やはり2になる、というものです。「1+1が2になる」ということを「正しい」と感じ、「1+1が3になる」ということを「間違い」と感じる性質、そこから生まれたのがぼくらの使ってる論理体系であるわけで、つまりそれは人間の摂理ということなのだろう、と思います。なんかぼくらが液体生物(どんなのか知りませんが)で1個2個とかの「個」って概念を感得せずに知的生命体に進化してしまったら、ぜんぜんちがう論理体系が生み出されてたかも知れないですしね。