すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

あなたは魂が存在しないと困るタイプ?

人は老いて死に、肉体は亡びても、魂は存在するのか?』という本を、書店で見かけました。買ってはいません。

「死後の世界」や「魂」は存在するのか? 碩学、渡部昇一先生が生涯をかけて追求した人間の死と魂の存在についての思索の書。アレクシス・カレル、デカルト、ソクラテス、パスカル、ウォレスら、錚々たる哲学者・思想家たちは、「魂や死後の世界」をどう捉えていたのか。そして、現代の碩学、渡部先生が導き出した答えは……。
「人は誰でも死ぬ」という絶対的事実に、人はどう向き合い、どう生きればよいのか。人生最大の難問に、渡部先生が真正面から向き合った、シニア世代必読の1冊です。

著者の渡部昇一氏は"「死後の世界」や「魂」"の存在についてずっと考え続け、80歳になってついに、それらは存在するのだという確信を持つに至った、らしいです。現在81歳。遠からず、お迎えがやってくるお年だと思いますが、その前に大切なことについての確信を得られて良かったのではないでしょうか?

けれどまぁ、そういったことの追究は、人生掛けてやるもんなのかなぁ、という気がちょっとします。手段の目的化ではないのか。たとえて言えば、反原発派のある人が、原子力発電所の廃止運動にその身を投じ、ついにやっと目的を達成! しかし既に人生のいちばんいい時分は遠く過ぎ去ってしまっていました、みたいな感じ。やっと心の平安を得られたけど、もう残り時間がないという。

ていうか、目的を達成できれば、魂の存在を確信でき(たり原発を撤廃でき)ればいいですけれど、できないまま終わってしまう人生も多いのではないでしょうか? そういう人たちの今際の際は、どんなふうなんでしょう。不安や後悔を抱えたまま死んでいくんでしょうか?

そこでお薦めしたいのがぼくのやりかたなんですが。ぼくはどうやってこの問題を回避しているのかというと、どっちもいいじゃない、ということにしてしまってるんですね。魂が存在する。それはいい。しかし、それが存在しないのもまたいいじゃないか。存在するなら、このぼくは不滅ということだ。しかし存在しないなら、死んでしまえばもういろんなことに悩まされることもないし、全てはいちどきり、これっきりだということになる。よく言われるように、だからこそそれは価値があるのではないのか?

こうして、どっちもいい、ということにしてしまえば、もうそれについてこれ以上思い悩む必要はないわけです。問題が問題でなくなる。そして本来のことに人生の時間を使えるようになる。だいたいさー、魂が存在するかしないかなんて、わからんですよ。自分が死んでみるまでそんなことはわからない。仮にあの世へ行って還ってきた、って人がいたところで、まだわからない。だってその人とぼくが同じだとは限らないじゃないですか。それは、ある人にはあって、別の人にはない、そういう在り方をするものかも知れないし。

こういう、「わからない」っていう、宙ぶらりん状態に耐えられる力が人には必要なんじゃないかと思います。すぐみんなあるとかないとか論争したがるのだけど。まぁ論争も楽しいんですけど。

しかし、死んでみるまでわからんと言いつつも、もし存在しないんだったら死んでもわからないままですけどね。それを考える自分はもうないのだから。ぼくはその状態にすごく安らぎを感じるんですけど、そうでない人にそのこと(魂なんかない、ってのもいいもんだよ、ということ)をうまく伝えられるようになれればいいなとは思ってます。