すべての夢のたび。

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赤い鉄は熱いか? (哲学的ゾンビのいなさ加減について補足)


先に書いたエントリ"「哲学的ゾンビはいない派」への転向"についていっぱいブクマをいただきましてありがとうございます。

でも、いちばん最初にもらったブクマのコメントで結構凹んだw

id:REV たぶん、「物質転送機で、分子一つまで同一な人間のコピーを作成できれば、当然のように応答は成立するが、クオリアがないから哲学的ゾンビ」みたいな話が続くかも。


うおお、どうしてか伝わってねぇ……と思いました。ぼくはそこを通り過ぎたあとのことを書いてるはずなのに。しかし、伝わってないとしたらこちらが悪いのです。なるべくわかりやすく語ったつもりだったんだけど、まだ何かギャップがあって、そこを飛び越えられない場合があるのかな、と。

ではこんなふうではどうでしょうか……?

あるとき、あなたはある所で熱い鉄を発見しました。それは赤い色をしていました。そのようなことが何度か続き、あなたは「熱い鉄は赤いんだな」と結論付けます。さてまた別のあるとき、あなたは人づてに、ある所に赤い鉄があるという話を聞きました。あなたは「その鉄は熱いはずだ」と考えるでしょうか?


とりあえず、錆びてて赤い、というのは抜きにしますw


ここでは、鉄の熱さを意識、鉄の赤さを脳の働き/脳内の物理現象に例えています。「哲学的ゾンビが存在する」というのは、「"赤いけれど熱くない鉄"が存在する」ということになります。しかもそれは"赤くて熱い鉄"と温度以外はまったく同じ状態なのです。外見では見分けがつかないけれど、温度だけが違うのです。

そういうことは、ありえないだろう。「熱い鉄は赤い」なら「赤い鉄は熱い」だろう、というのが、先のエントリでのぼくの主張です。意識を持っている人間から"物質転送機で、分子一つまで同一な人間のコピーを作成"できれば、当然、そのコピーだって意識を持っている、はず。そう考えます。物理的状態がなにからなにまで同じなのに、観察できる結果だけが違う。そういう状況は想像できません。


ただし、ここには説明を省いたいくつかの隠れた前提がありますけどね。うちひとつは、ぼくは心身一元論を採用する、というものです。このことはまぁ、同意を得てはいないですけど、いいですよね?というほかない。

心身二元論を採用するとしたら、鉄の熱さと赤さは独立して考えなくてはいけないので、「熱いけれど赤くない鉄」もアリになってしまうし、それどころか「鉄なしの単なる熱さ」、肉体なしの意識活動(霊魂?)まで考えなくてはいけなくなってしまう。これがアリなら、とにかくもうなんでもアリなので、当然哲学的ゾンビも余裕でアリになってしまいますね。

あと、ぼくは物理学をあたかも「完結した無限」のように扱っている、というのもあります。意識とはなんであるのかを説明するには、未発見の自然法則が必要なのかもしれないが、それも物理学の範疇である、という。物理学と独立したなんらかの体系(魔法とか? 輪廻転生とか? 引き寄せの法則とか?)、そういったものは考えない。鉄の熱さと鉄の赤さの間には自然法則のほかにもなんらかの謎法則が介在している? それがアリだと、またなんでもアリになってしまうので。


他にも隠れた前提はいろいろありそうですが、とりあえずこんなところで。それでも!哲学的ゾンビはいるかもしれない……ということでしたら、そう考えられる要因をお聞かせ願えれば幸いです。