すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

死をあきらめる

今日は法事だったんです。で、お寺行ってお経を読んで(上げて?)いただくわけなんですけど、冊子がありまして、何ページを読みますから一緒に読んでください、と若いお坊さんがおっしゃるわけです。

それが、大きな字で書かれており、ふりがなもあり、実にわかりやすい。モニョモニョ言ってるやつの正体がわかる。そして○とか●とかが文章の間に時折挟まってる。これなに。と思ってたら、○はご〜〜〜〜んってやつ、●はカーンッってやつだった。そこまで書いていいのか。お経のオープン化、見える化か!とか思いました。

そのお経の冒頭がこんなだった。

生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり


かっけえ。お経かっけえ。厨二だ。グッと来るは!と思いました。(さいきんの"わ"を"は"って書く風潮はなんなんですかね?)

んで文語?昔のことば?で書かれたやつでもなんとなく意味はわかるんですけど、口語にしてみる。

まずここで出てくる「明らめ」は、「明らかにする」という意味ですね。つまり「生(しょう)を明らめ」は生きることを諦めるでは当然なくって、「生きることとは何であるかを明らかにし」ですね。なので「生きることとは何か? 死ぬこととは何か? それを明らかにするのは」が前半の意味ですね。

後半。「仏家」は仏教徒ですが、仏の道を歩むもの、という意味から、それは全ての人のことである、とも言えそうです。まぁ拡大解釈ですが。「一大事」はわかりますね。しかし「因縁」がわかりにくいなぁ。感覚的に訳してしまうと「定めなのである」ってなってしまうんだけど、実際はちょっとニュアンスが違う気がしますね。やらなくてはいけない、ではない。やらざるを得ない、という運命っぽいニュアンスが入ってる気がします。

生きることとは何か? 死ぬこととは何か? それを明らかにするのは、全ての人にとって非常に大事な定めなのである。


そしてここでiPhoneの大辞林を引いてみると、実は「一大事」も「因縁」も仏教伝来のことばであることがわかる。たぶんきっと仏教のことばなくしては一日も過ごせないんだろうな、日本人って。それどころか大辞林には「一大事因縁」ということばが載っていたのです。それでひとつの意味があるんですね。

仏は衆生を救うためにこの世に出現し、それによって衆生が成仏するという因縁。


……だそうです(わからん)。お経はもともとは全部漢字でひらがなの部分はないんじゃないかと思うので、原典には「一大事因縁」とかってそのまま書かれていたのではないかと思われるのですけど、これは二単語なのか一単語だったのか、どっちなんでしょうね。でも一単語だと意味通らないような。ダブルミーニングか?


あきらめる。ふつーに書くと「諦める」ですよね。いまは、はっきりさせるという意味での「明らめる」はあまり使わない。でも、なんとなく、「諦める」と「明らめる」は意味的に近い部分があるのを感じます。もちろんきっと語源が同じなんだろうな。それにまつわる全てを極めてクリアに見て納得する、そんな感じでしょうか?

で、お経を読んで、よしよし、と思ったんでした。なんせ死をあきらめるのは仏家一大事の因縁なんですよ。つまりぼくのやってることはやるべきことでやらざるを得ないことで一大事なんですよ。やっててよかったんですよ。仏陀からOK,GO!が出てるんですよ、とそんなことを思った。でもお前は生もあきらめろよともちょっと思った。