すべての夢のたび。

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お気楽な生活をしたければ

漁師と億万長者の話で得るべき教訓は間違っている - 常夏島日記


こちらの日記を拝見いたしました。えっと、これ、元の「漁師と億万長者の話」って、ジョークなんでしたっけ? まぁいいか?

で、この日記の方は、

この話で、だからMBAとって頑張って仕事を大きくして、億万長者になって、という努力は無意味ですよ、という教訓を得るのは、大バカの大間違いです。


と、書かれていらっしゃいます。理由も一緒に書かれてる。そして、

漁師と億万長者の話で得るべき教訓は、本当は次のようなものです。「お気楽な生活をしたければ、十分な余裕を持て。


というのがこの方の結論のようです。


で、ここからが本題です。ぼくはお気楽な生活をしていますが億万長者ではありませんw で、pha氏のような天賦の才能があるわけでもない。さてそれでどうやってお気楽でいられるのかというと。

世の中に執着を持っていないからです。明日死ぬことになっても特に悔いがないからです。


お気楽な生活をしたければ、死を明らめよ」 自分がいずれは死ぬということについて考えて考えて考え抜け。


これをお薦めするのには、ふたつの理由があります。

第一に、億万長者になるには、多分それなりに時間が掛かります。みちなかば、なんの準備もできていない状態で、とうとつに終りがくるかもしれない。であるならば、その時に後悔まみれになるより、先にお気楽なこころもちを手に入れてから、億万長者を目指す、というのはいかがでしょうか? (目指す気がなくなってしまうという可能性はありますが)

第二に、ぼくらはいずれ死にます。だから、どうせ、いつかは、自分の死について考えなくてはいけなくなるのです。これは避けられない(事故死や突然死が運命として決まってる人以外)。なら、めんどうな課題は先延ばしにせず今やっちゃったほうがいいとは思いませんか?


特に「十分な余裕を持て。」という教訓に反対しているわけではありません。互いに矛盾する内容でもないと思うし。単に、こういう考え方はどうでしょう、というひとつの提案です。

まぁ億万長者になるのは誰にでもできることではないと思いますしね。もちろんぼくの提案も誰にでもできるものではないかもしれません。でも億万長者になるよりかは易しい気がするな……。それに、できなきゃできないでできないまま死ぬだけだし。