列車でのベビーカー利用に理解を求める鉄道会社や東京都のポスターに、批判が寄せられている。車内で通路をふさぐなどと苦情があり、鉄道会社はマナー向上の呼びかけに力を入れている。
ひとこと言いたい、よし今日はこの記事をネタに!と思ったのですけど、書く前から書く内容も結論も全部見えてしまった。
ぼくのこの手の話題に対する反応はいっつもおんなじです。ぼくの日記を読んでくれる方がそのパターンを覚えれば、「またか」という感じで日記を読む時間を節約することができます。なので、親切心から今日もそれを書くことにします。
結論から言うと、混んでいる時間帯にベビーカーを畳まずに電車に乗るのはお薦めできないとぼくは考えます。理由は、単純に危ないからです。
今月、JR新宿駅近くでベビーカーを押していた杉並区の主婦(38)は「子どもを病院に連れて行く時、電車に乗らざるを得ない。荷物と子どもを抱えてベビーカーを畳むのは無理」と話す。
病院に行こうとして混んでる電車にベビーカーを畳まずに乗って、それで子どもに怪我でもさせたらまったく本末転倒なのではないか? ぼくはそう思うのですがどうでしょうか?
良い悪いの話はしません。理由はふたつあって、まずひとつ、結局主観でしかない正義の押し付け合いになって不毛であること。もうひとつ、仮に一方が正しいということに決まっても、それでも正しくないとされたほうをやることは常に可能だからです(殺人は正しくないですよね?)。
なので、結局、いつもの、「自己責任においてやるなら構わない」という話になってしまうんですよね。この杉並区の主婦が、例えば仕事の時間の都合があって急いでいるからとか、タクシーは金銭的に厳しいからとか、そういう事情と引き換えにして、リスクを勘案し、もし事故が起きても仕方ないし、周囲の人から厳しい目で見られても仕方ないと、そう考えて混んでる電車にベビーカーを畳まずに乗るのなら、いいと思うんです(それでも、わずかな手間と時間でリスクを減らせるのだから、畳んで乗ったほうがいいんじゃないかとは思いますけどね)。
ぼくはただ、現状に基づいた話をしてるだけです。
ベビーカーの人が電車に乗りづらいという、そんな空気を変えていかなくちゃいけないんじゃないの?って意見はわかりますし、尊重します。でも、何か意見を言うということは、それがどれだけ社会の正義を代弁しているように見えても、結局は、自分の立場の正当化にすぎないのです。客観の存在は幻想で、主観しかない。人は、私は間違っている、という言い方で何かを語ることはできないのです。(そして、このことはぼくのいま書いてる内容にも跳ね返ってくる。結局の所ぼくは、邪魔、と思っているのです)
いつもの結論です。良い悪いに関係なくそれはできるので、自己責任においてやるんなら別にいいんじゃない。付け加えていうなら、その覚悟があろうがなかろうが、責任は取らされます(この場合、子どもが怪我をしても、受け入れなくてはいけない)。ただそれだけで、常にこれだけです。というオチになるのが解ってるので、ちゃんと考え始めると、世の中に対して何も言えなくなってしまうんですよ。ぶつかり合うのは仕方なくて、強いほうが勝つのです。ほんとそれだけで、あとはどっちに加担するかくらいです(もちろん自分に利益があるほうに決まってますが)。
出産前は、通勤時にベビーカーを迷惑と思っていたが、考えが変わったという。
子どもが大きくなったらまた変わりそうですねこの人……。