すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「ぼく」は取り出せるのか

@ubitwさんのツイートに刺激されて、ひさしぶりに考えてみた。リハビリですね。しかし鍵掛かってるからツイートの紹介はやめておこうw


人をコンピュータに例えてみる。脳の、考える部分はCPU、記憶の部分はHDDとします。残りの全ては、面倒なのでここでは肉体(人)・本体(コンピュータ)と呼称します。

コンピュータで重要なのはなにかというと、HDDですよね。HDDに記録されているものが、そのコンピュータがどういう性質のものであるかを決めます。仕事用だったり、ゲーム用だったり、絵や音楽などの趣味のPCだったり。本体を新しくしても、HDDのなかのものは移行されるのがふつうです。

人においてもおなじでしょう。人がその人であることを決めるいちばん重要な要素は記憶だろう、とぼくは考えます。たぶん、記憶を移植することができれば、人はその人になる。その人として振る舞い始めるはずです。

さてまたコンピュータに戻る。ではCPUってなんだ?って話。コンピュータAとコンピュータBのCPUを、こっそり入れ替えてみる。これ、入れ替えた行為が報告されなかったら、たぶん誰も気づかないですよね(まぁクロックが速いか遅いかくらいの違いはあるかもしれませんが)。CPUはHDDのなかのものを処理するためのパーツにすぎない。CPUの個性で処理結果が変わることはない。透明なパーツなわけです。

つまりなんだ、えーと、おそらく、最初の、人/コンピュータを3つに分けたのが間違ってるんじゃないかって気がしますw 「CPU」や「脳の、考える部分」みたいなことは、考えなくていい。だってそこが入れ替わったって何も変わらないんですから。たぶん2区分なんだな。コンピュータは、ソフトウェアとハードウェア。人は、記憶と肉体。これだけで説明できるんじゃないかと思います。

「それ」が「なぜそれであるか」を、人のケースで考えた(="その人"が"なぜその人であるか")とき、「仮に同じ記憶を持っていたとしても、ものの考え方や性格が違っていたら、同じ人とは認識されないのではないか?」って思ってしまうかもしれません。でもこれは実は問い自体が誤りで、「考え方」や「性格」も全て記憶から決定されている、記憶に属するものなのです。CPUに個性がないように、考え方や性格が「脳の、考える部分」にあるわけではない。そこの部分は透明なのです。気にしなくて良い。


まぁ現実には、記憶は肉体と深く結びついているので、そう簡単にはいかないと思いますが。コンピュータだってHDD外して新しい本体に付けても、まずうまくは立ち上がりませんよね。そこはちょっと無視して書いています。


で、問題は、本題は、ここからやっとなんですが。今までの話の中には「ぼく」は出てこない。実は、無数にあるコンピュータのなかのひとつが「ぼく」なのです。なぜかひとつ、たったひとつが「ぼく」で、ぼくはその内側から世界を見、経験しています。

無数にある中のひとつを「ぼく」に決めているものは何か? それは、この、記憶と肉体・ソフトウェアとハードウェアの話には、出てきませんでした。つまり、ここでした話以外のなにかの要素が、それを決定していることになります。不思議ですね。それは何なんでしょうか。また、それは他のコンピュータに移し替えたりできるものなんでしょうか。

もしできないなら、「機械の身体になる」とか、仮想世界に移住するとか、出合い頭にぶつかって入れ替わっちゃうとか、そういうのの全ては、ない話になります。「ぼく」はこの肉体の牢獄にずっと閉じ込められたままで、肉体の死と同時に消失することになるわけです。