すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

幸福な日曜日

今日は歩いて皇居外苑へ。ベンチで読書してました。

日曜日はパレスサイクリングというのをやっていて、皇居の前の道路を通行止めにして割と本気な自転車の人たちがぐるぐる周回できるようになってたりするんですが(もちろんお気楽に乗ってても良い)、それとは別に自転車教室もやってたりします。

ちっちゃい子が、もうやめる!かえる!とか半泣きしながら練習してるのをお父さんが一生懸命なだめてたりするのに混じって、中学生くらいの男の子も練習してたりする。今まで乗る機会がなかったのか。見てて明らかに重心がへんなとこにあるのがわかって危なっかしい。お母さん、という感じの年代の人も練習してる。係の人に、だんだん足を離す時間を長くしましょーねー、とか言われながらやってる。

そういうのを眺めつつ読書。最初は木陰だったんですが、太陽が移動するにつれて日向になってしまった。でも風がそこそこあったので暑いというほどではなかった(しかししっかり日焼けはしてしまった……)。

そういうのを眺めつつ、お酒飲みつつ読書。ほんとはたぶん皇居外苑で酒なんか飲んじゃいけないんじゃないかと思う!ので、こそこそと。途中のコンビニで買ってったウイスキーの、スキットル風なペットボトルのやつ。180mlか200mlかくらいの。一口飲んではカバンにしまい、みたいな感じで。あとナッツも。

こんな、晴れた5月の、風も心地よい日曜日。に、皇居外苑の緑に囲まれた中で酒飲みながら読書、ですよ。こんな贅沢があるだろうかと思った。シリアあたりじゃ戦車の砲撃を生身の人間が食らったりしてるのに、そこは完全に安全で平和でした。これ以上の贅沢がもしあるとすれば、いまこれと同じことを皇居外苑じゃなくって皇居内でやるしかないだろうと思いましたw 陛下とかどうなんですかね。どうなんですかねって何が。


読んでた本はこれです。


?それ?は在る―ある御方と探求者の対話 (覚醒ブックス)

?それ?は在る―ある御方と探求者の対話 (覚醒ブックス)


覚醒ブックスとかヤバいなぁ。どんなブックスだよ。まずタイトルで惹かれた。"それ"って、アレのことだよねたぶん。そしてアレが在るってことなんだよね、わかるわかる。それからオビ見て「これはまったく上級者向けだ」と書かれていたので、よろしい、と即購入してしまいました。

本作では、思考は私ではない、という教えの部分が、かなり強烈に書かれております。著者は改めて、過去に読んだ書物をなんとなく思いめぐらしましたが、驚いたことに、ほとんど全く、どの書物も明確に伝えていません。

おそらく、本作にも書かれているように、思考が自分ではないなら、どのように学びが起きるのか、誰が何を学んでいるのか、というとても重要な問題に遭遇するからです。

思考や想念や身体は、本当の自己ではない、とは多く書かれていますが、思考が自分ではない、という問題に詳細に触れているものを見たことがありません。そのような意味において、この部分はまさに、本作にもあるように、一気に階段を登り、存在自体に戻る体験を作り、与えることができる作品かもしれません。


世界とは何であるのかという考えを推し進めていくと、結局、それが在るという以上のことは何も言えなくなってしまう。そういう経験を持っているぼくがこの本を読むと、分かる、分かる、然り然りという感じになります。でもそのことを、分からない人が読んで分かるようになる本だろうか。そこには何かおおきなギャップがあって、なんとか自分で(本に頼らず)飛び越えなくてはいけないような気がします。

分からない人がこの本を読んでも分からないままで、でもいつか分かるようになってから読むと、なんだ、ぜんぶ初めっから書いてあるじゃん!このとおりじゃん!どうしていままで分からなかったの?って不思議に思うような、たぶんそんな本です。


読んでて、ちょっと良いなと思ったところ。何かを得て幸福になるとはどういうことか?

人が物を得た時、
人は、『よし、手に入れた、もう必要なものはない』と思い、
それ以上求めるのを止めて、ただくつろぐのである。
安心するのである。
その時、すでに存在していた幸福感と満足感が現れる。


幸福感と満足感は、くつろぎ安心している時に現れるという。ポイントは、くつろぎ安心するためには別に特に何か物を手に入れる必要はないってところなんですよね。確かに物を手に入れることでくつろぎ安心し幸福と満足を得ることはできるけれど、でも、もっと容易くくつろぎ安心する方法もありますよっていう。