どっかのまとめサイトに載ってたようで、また「わたしの見ている"赤"とあなたの見ている"赤"は同じものか?」ってのを見掛けました。
古典ですよね。
ぼくはひねくれているので、それを問う前に、先の問いをAと置いて、「わたしの聞いたAとあなたの発したAは同じ意味なのか?」と考えてしまいます。そもそもわたしとあなたは同じ意味で言葉を使っていたんだろうか? そこは、あなたは、気にならないのか?
たぶん、気にならないんでしょうね。
ぼくも気になりません。気にしていたらこんな文章は書けない。
結果として、わたしがあなたの言葉を聞いたあとの行動が、あなたの予想を裏切らないものであるなら、問題ないわけです。世の中はおおむねそうやって回ってきた。「意味を探すな、用法を探せ」と彼も言っていた。
この「違っていてもなんの問題もない」という答えは最初の問いを逆照します。赤と赤が違っていても、なんの問題もないことになります。世の中はもうとっくにソレで回ってしまっているのだから。
なら最初の問いのほんとうの意味は、文字通りではないところにあることになる。
問うても意味のないことを問うそれはなんでしょうか? ゆらぐ根本への不安の表現なのでしょうか。それともただの好奇心なんでしょうかね?