「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語」の劇場動員が100万人を突破したことを記念しまして、11月23日(土)より全国の上映劇場にて谷口淳一郎さん・山村洋貴さん描きおろしのスペシャルカードのプレゼントが急遽決定しました! #madoka_magica
— 魔法少女まどか☆マギカ (@madoka_magica) 2013, 11月 20
その100万人のうち20人はぼくなのです。20回見てるので。5万人にひとり。じっさいリピーター率どのくらいなんでしょうね?
こんどの週末も見に行く予定でチケット取っています。先週とおなじ、土曜4回日曜2回の構成。土曜5回への挑戦はやめておきます。
こんなに繰り返しおなじ映画を見るには、もちろんその作品が面白いものであることが必然です。まどマギ叛逆は面白い。いまのところぼくのなかでは、こういった劇場版アニメではヱヴァQを超えたものとなってます。
ヱヴァはほら、よくわかんない謎を振りまいて、みんなの思い込みによる期待値で高値を掴ませてるような、そんな部分もありますからね。まどマギには謎がない。そういうのがあんまりない。いまあるものだけで勝負してる。ヱヴァはもしかしたら、次回作がへっぽこぴーだったらここまでの評価もひっくり返る可能性あるけど、まどマギは既に面白いものね。次があろうがなかろうが。
でもこんなに繰り返し見てもわからないものがあるのです。それは最後の、ほむらの豹変ぶりですね。行動において、じゃなくて、性格において、です。あの行動をしても、あの性格である必要性はないと思うのです。世界を改竄して、みなの記憶を書き換えて、なおいい子でいることもできたはずなのに、彼女はそうしていない。それはなんでかなーというのがわからないのです。あの性格は必然ではないはずだ。
ほむらは真面目だから、良くないことをするのは良くない性格だ、と、そのように選んだのかも知れないなぁというのが、暫定的なぼくの考えです。いい子でいるようなずるいことはできなかったのだ、と。叛逆見た他の人たちはどう考えてるんだろうなぁ。