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すべての夢のたび。

雑記ブログ

意識と記憶の関係性について

すこし前に書いた「意識の無用性について」というエントリにいただいたブクマ(ありがとうございます)やコメント(ありがとうございます)にレス。


id:ROYGBさんのブコメ

意識というか記憶が無いだけかも。でも平日は意識を無くした状態で機械的に働けるようになったら便利かも。

記憶がない場合、「記憶をなくした」と考えるのがふつうだとは思います。でもちょっと考えてみて欲しいのです。記憶とは記録です。録画とか録音とか議事録とか、まぁなんでもいいんですが。

誰かがミュージシャンで、ライブが終わった後に記録物がなにもない、という事象が発生したとします。これどういうことだと思いますか? 「ビデオカメラを回してたけどSDカードをなくした」「録音してたけど間違って消してしまった」ということが考えられます。でも"記録物がなにもない"という事象の発生時に実際一番多いのは「そもそも最初から録画も録音もしていない」ということであるはずです。

「記憶が一度は作られ、そしてなんらかの原因で消去される」より「記憶が作られていない」という仮定がオッカムの剃刀的にもよろしいのではないかと。記憶をなくすようなイベントがどこかで発生したとも思えないし。まぁ記憶ないから発生しててもわからないんですが(笑)。


通りすがりさんのコメント

途中からベッドまでの間意識がなかったのではなく、単純にそのときの記憶がないだけではないでしょうか?

このコメントも同様のことを言われていると思います。でもここでちょっと考えた結果、ぼくは「意識」ということばを2つ(以上?)の意味で使っていることがわかりました。それで議論が混乱するのかもね。

たとえばぼくが記憶喪失になったとしたら。もちろん「記憶をなくす前には意識がなかった」とは言えません。これは「単純にそのときの記憶がないだけ」に相当するものでしょうね。

でもぼくが先のエントリで「意識がなかった」と言ってるのはこういう事態とはちょっとちがう。言わば、「そのときぼくはどこにもいなかった」という状況が発生していたのだ、ということです。ぼくがいないゆえ、ぼくの記憶もないのです。

意識がないと、意識していないと、記憶って作られないんですよ。昨日椅子に座って仕事してたとき、足をどんなふうにしてたかなんて覚えてますか? 意識がそこに向かない限り記憶はない。だからなんにも記憶がないときは、そもそもそのとき意識がなかったから、ってことだと思うんですよね。


ふら風さんのコメント

つまり、飲んでいるみちあきさんの周りの人達は、哲学的ゾンビを目の当たりにした訳ですね?

まさにそれかもしれません。意外に身近なところにゾンビはいるものです。