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すべての夢のたび。

雑記ブログ

意識は数字か?


こういうエントリ見るとつい何か書きたくなってしまう。あれか。いわゆるお題ですか。

さて、読んでみたけど、あたらしいことがひとつもない。こんなんじゃアニメ化できません!って企画段階でボツくらうレベル。意識をコンピュータにアップロードはいはい。意識をコピーして仮想世界で生活、はいはい。何十年前のSFですか……。

神経生物学的メカニズムから考えると、脳は神経回路を介して動いています。脳の内部では850億個もの神経細胞が働き、化学的な電気信号でデータがやり取りされ、その働きの中で記憶、感情、個性といった意識が形成されています。

つまりそれらを模倣することができれば、意識も作りだすことができるということになります。

またこの考えをさらに進めると、仮装世界で生きるということも可能になるといいます。

コエーヌ氏は、体から解放された独立した意識を再現するためのプロジェクト「carboncopies」を立ち上げており、技術的・倫理的な問題の解決を目指しています。


ところでコエーヌ氏の目論見は失敗するでありましょう。ぼくは人間の意識をコード化してコンピュータにアップロードするのは不可能、と考えています。なぜか?

たとえばぼくの意識をコード化できたとします。するとそれは、「ひとつのものすごくおおきな数」になるわけです。ここ、コンピュータをある程度知ってる人ならわかりますよね。テキストファイルでも、画像データでも、プログラムそのものでも、コンピュータで扱うデータならなんでも16進数の文字列で表現可能です。要するに、なんでもひとつの数です。

ということは、その数はもうとっくにこの世界にあるわけです。ぼくの意識をコード化した数字は、あらかじめ世界内に配置されている。ゼロから無限へと連なっていくあまたの数のうち、ひとつがぼくの意識だということになります。

俳句は五七五の17文字ですよね。乱暴な言い方をすれば50(音)の17乗が俳句です。それは松尾芭蕉に詠まれる前からすでに可能性として世界に存在していると言えます。俳人は、ルールに従ってそのうちのひとつを選び、短冊に書きつけるのです。

おなじように可能性としては既に世界に存在してたはずのぼくの意識は、さていつ「詠まれた俳句」のように世界に現前することができるんでしょうね。HDDに焼かれた時? メモリにロードされた時? CPUがプロセッシングし始めた時? クロックとクロックの間の時間は、眠ってるんでしょうか。

いろいろ考えていくと、意識をコード化するというのはなかなか難しいんじゃないかって思えてきます。仮にコード化できるとしたら、もうその数字は世界にあるのです。じゃあなんで、その数字はいま意識を持ってないの? それとも、実は持ってるの? あるいは目覚めさせられるのをずっと待ってるの?


これとは別に、じゃあ仮にぼくの意識をコピーできたとして、それはぼくなのか問題(こっちにもぼくがいるんだけど問題)もあるんですけどね。実はこっちの話のほうがずっと根源的で面白いですよね。