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分離脳から考える

分離脳 - Wikipedia

分離脳(ぶんりのう、英: Split-brain)は、脳にある2つの大脳半球を接続している脳梁が、ある程度切断された状態を示す一般用語である。この状態を生み出す外科手術のことを脳梁離断術 (corpus callosotomy) と呼ぶ。この手術が行われることはまれではあるが、大抵の場合は難治性のてんかんの治療として、てんかん発作の猛威を減らすことにより、物理的な損傷を防ぐために行われる。

分離脳となった患者は、その患者の左視野 (つまり両目の視野の左半分) に画像を呈示された際、それが何の画像なのかを答えることが出来ない。この理由は、多くの人々において言語優位性半球は左半球なのだが、左視野にある画像は脳の右半球にのみ伝えられるためと考えられる。2つの大脳半球の連絡が切断されているため、患者は右半球が見ているものを答えることが出来なかったのだ。しかし、患者は左視野にある物体を左手で掴んだり、認知したりすることが出来る。これは左手が右大脳半球によりコントロールされているためである。


てんかんの発作が脳全体に広がるのを防ぐため、左右の脳を繋いでいる脳梁を切断してしまう。荒っぽいですが、劇的な効果があると言われています。その手術を受けた患者は、一見すると普通の人と何も変わらないんです。

分離脳についてはいろいろと興味深い症例が報告されています。上の引用にあるように、脳の機能は左右対称なわけではなく、言語野は左脳にあるので、右脳が何かを見ていてもそれを言葉で表現することができなかったりします。

そして分離脳に関連してよく出てくる話があります。

2つの大脳半球が異なる"人格"や目標を持つとする理論も存在する。


分離脳の手術を受けた人は意識を2つ持っているのではないか。そう思わせる症例もあります。左手が勝手に動き出すのを右手が押さえようとする、そういう行動を取る患者もいるとか。

脳の中にただ1つの意識があるのか、それとも2つあるのか。見た目ではわかりません。頭が2つあるようなシャム双生児の場合、意識が2つある、と考えて差し支えないと思います。でも、以前有名になった顔が2つあるネコ、あれの場合は、脳は1つしかなかったそうなので、意識は1つだったと考えられます。それぞれの顔には別の名前が付けられていましたが、そこにある意識の数は見た目ではわからないのです。

分離脳の患者は左半身と右半身が別々の行動を取ろうとすることがあることから、顔が2つのネコとは逆に、顔は1つでも意識は2つある、と言ってよいと思います。でも、その人に「あなたは意識が2つありますか?」と尋ねたら(そもそもこの質問はどういう意味なのかよくわかりませんが……)、「いいえ」と答えるでしょう。なぜなら口を利けるのは左脳・右半身だけだからです。では左耳だけに「あなたは誰ですか?」と囁いたらどうなるのでしょうね、気になります。

分離脳の患者の右脳と左脳は頭の中でコミュニケーションを取れないので、体の外でやりとりをすることもあるようです。先のように、言語野のある左脳には見えないものを右脳が見ている場合に、なんとかして左半身が右半身にそれを知らせよう、伝えようとする。字を書いて伝えるなんてもちろんできないから、身振りや、注意をそちらに向けさせたり、どうにかして右手にそれを触らせようとしたりするとか。


ぼくは長い間ずっと「《わたし》とはなにか」について考えていたので、分離脳の話を聞いたときはまずこう思いました。脳梁を切断されたら、《わたし》は左右のどちらの脳にいることになるのか。それはいったいどのようにして決まるのか。そういう、答えの出なさそうな問いについてずっと考えていたのですが、最近ふと気付きました。ちがう、ぼくらがすでに分離された脳なんだ、と。

ぼくとあなたは分離された脳なのだ。分離された右脳と左脳とおなじ関係なのだ。だからコミュニケーションを取るためにいろいろ回りくどいことをし、不確かな方法で意思を伝え合わなくちゃいけないんだって。

もうすでに脳と脳をつなぐ実験は始まっています。まだわずかな情報を伝えられる程度ですが、これがほんとうに、ダイレクトに瞬時に大量の情報をやりとりできるようになったら、たぶん、分離脳と逆のことが起こるでしょう。2つの意識が1つに融合するわけです。その時《わたし》はどうなるか。《わたし》は1つになります。そこではじめて、《わたし》はわたしでもあったしあなたでもあったという、そのことに気づくのです。