すべての夢のたび。

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映画『悼む人』観てきた


悼む人、単行本の表紙だけが記憶に在ったのです。舟越桂さんの彫刻です。

悼む人

悼む人


それで、へーと思って、内容は何も知らないで観に行った。どういう偶然か知りませんが、予告編も一度も見ていません。ぼくは日本人平均よりは映画を観に行ってると思うんだけどなぁ。


そんで「ほにゃむひと」ですが。ほにゃむ、の部分はなんて読むのかというと「いたむ」です。いたむひと。「痛む」、痛むよりは使われにくいけど「傷む」、とおなじ語源の、「死者をいたむ」の「悼む」です。

30歳。主人公。子供の頃、祖父を亡くした時、その記憶を胸の中にしまって忘れないと誓ったにもかかわらず、社会人になった時、親友の命日を忘れたことにショックを受け、仕事も恋人も家族も捨てて「悼む」旅をはじめた。

主人公("悼む人")はこんな人です。事件・事故等で亡くなった人について、新聞や当時の週刊誌の記事、あるいは現地の人、当人の周囲の人に尋ね、当人がどんな人柄であり、どれだけ周囲の人を愛し愛されていたかということを想い、その事件・事故等の現場で「悼む」。それをもう何年も繰り返し、バックパッカーの身なりでバスや徒歩で全国を周っている。そんな人です。

当然彼は、行き会う人々に疑問を持たれます。なんの目的でそんなことをするのか。それをしてなんになるのか。ただの自己満足ではないのか。見も知らぬ他人を悼むことなんて本当にできるのか。等々。そして彼はそんな質問を過去に何度も受けてきており、理解されないことについて自嘲気味にこういうのです。病気だというしかないと。

実際にはもっと「悼む」ことについてのリアルが彼と観客に突き付けられるのですが、まぁそれは観てのお愉しみということで。人の死を扱う映画なのに安っぽさがないので良い映画好きな人にはお薦めしたいです。

登場人物の一人を演じる井浦新さん、昔ARATAだった人、が単行本表紙の彫刻にすげえ似てない?と思ってしまった(最初鳥肌実さんかと思ったがよく考えたら今細くない)。まぁスクリーンで確かめてください。あと出演者みなうめえなぁと思ったんですが、大竹しのぶさんはやはり別格ではないかと。とんでもないよこのひと。


ところで「悼む」について。主人公が現場で悼んでいると、なにをやっているのか、と、その現場がどういう場所であるか知る人たちから問われるのです。すると彼はこう答えます。「◯◯さんを悼ませていただいておりました」と。この日本語の不自然さが面白いです。ほぼ聞いたことのない言い回しです。そもそも正しいのだろうか、という気もします。「痛む」には選択がない(痛みの原因が生じた時、自分が痛みを感じるかどうかは選べない)ので「悼む」も同様、それは内側から起こってしまうものであるはずで、悼ませていただくかいただかないかは彼には選べないのではないかと思うのです。