読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

すべての夢のたび。

1日1記事の雑記ブログ

コンピュータに意識をアップロードする前に

 

こういう感じの、ぼくがすぐ釣られるようなネタの記事がブクマを集めていて、釣られたのですが、読んでみると「できない派」だったのでがっかりしました。できる派だったら糾弾してやろうと思っていたのに……。

 

でも、できない理由がとてもありきたりだった。生きてるうちにコピー作ってもそっちに主観が移りはしないよね、っていう。そういうのはもう何度も言われてるので、この記事から特に得るものはありませんでした。たぶんブコメにはいろいろネタが潜んでいるんじゃないかと思うので後で眺めてみます。

 

さて、そもそもの話なんですけど。そもそもコンピュータに意識がアップロードできるとしたら、まず意識はどうにかこうにかしてデジタル化されたのだ、ということになりますね。その結果が、データなのか、プログラム+データなのかはわかりませんが。データだけとすると、データを処理して意識を発生させるプログラムが人類共通のものとして別に存在してるってことです。プログラム+データだとすると、電脳空間に生息する人工生命のイメージですね。まぁこのへんはいいとして。

 

まず、デジタルデータというのはコピー可能です。まったく同じものが作れる。すると、仮にコンピュータに意識をアップロード可能だったとしても、別の問題が生じる。2つアップロードしたらどっちが自分なのか。先にアップロードしたほうか。動作中のやつをコピーして、コピー元を止めてコピー先を動かしたらどうなるのか、等々、「自分とは何か」絡みの問題がいろいろ出てきそうです。

 

また、イーガンの小説に出てくる「高速化」の話もある。高速化ってのは主観で実際は低速化なんですけどね。処理クロックを下げてやると周りが速く動いているように感じるわけです。クロックは主観の速度には影響しません。あくまでも周りが速くなるのであり、自分が遅くなったのだと感じるわけではない。それでは、このクロックをどこまで下げられるんだ、って話がでてきます。いや、理論上どこまでも下げられるのですが。そう、たとえば次のサイクルが1日後1年後でもいいし、極端な話、次のサイクルが来るのが宇宙の寿命より先でも構わないわけです。それでもプログラムはちゃんと動いていると言えるのだから、意識はあるはず。来るかどうかすらわからないサイクルを待ちながら意識は継続しているのでしょう。すっごい希薄なものかもしれませんが。それとも実は意識は離散的なものなのかな。

 

そして、コンピュータのしてることは本質的にはただの計算です。ただの計算なんだから、紙の上でやったって構わないのです(レゴでもマインクラフトでもいい)。紙の上に、今のメモリの状態と、今のCPUの状態を書き出してやれば、何億分の1の速度か何兆何京分の1か知りませんが、その紙コンピュータを「動かす」ことは可能です。そしたらそれは意識を持つことになります。本質的に、紙の上の計算とコンピュータ内の計算は、何も変わらないわけなので。そんな紙の計算が意識を持つわけねーだろ、って言うなら、意識のアップロードも夢のまた夢ってことになります。まさかそれが宿る媒体としてシリコンが必須だとか言わないよね。

 

ってふうに、意識をアップロードする前に考えてみるべき問題は山ほどあるんじゃないのと思います。みんなお気楽にすぎるようにぼくには見えてなりません。