すべての夢のたび。

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意識を移し替えるとはどういうことか


ほんとうは今日は別のことを書くつもりだったんですが、こういうネタが流れていたので拾わないわけにはいきません。


さて、GIGAZINEのこのエントリは非常に興味深いです。どこがか? 「人間の意識を他人の肉体に移し替えることはできるのか?」というタイトルなのに、「記憶」の話しかしてないからです。意識の話はどこにも出てきてないです。このエントリでは、記憶を移し替えることがイコール意識を移し替えることである、とみなされているようです。

そうなのか?

そうなのかも知れません。Aさんの意識がBさんの肉体に移せたかどうかをどうやって知るのか。結局それは、その"意識移動術"だかなんだかをやったあと、Bさんの中にいる人に「あなたはAさんですか?」と聞いてみるしか方法がないでしょう。それで、Aさんしか知り得ないようなことを知っていたら、これはAさんの意識が移ったのだと認定する。それしか手はないと思われます。

ではその"意識移動術"じゃなくて、Bさんに催眠術を掛けて、お前はAさんだと思い込ませる、偽の記憶?を植え付ける。これはどうでしょうか。うまくすれば、「自分はAさんでありAさんでしかなく絶対Bさんでは有り得ない」と信じ込んだBさんを作ることは可能なんじゃないでしょうか。

で、問題は、"意識移動術"と「偽記憶」は外側からじゃまったく見分けがつかないことです。いや、内側からも無理でしょうね。記憶とは足場であり、疑ってはいけないものです。実は偽の記憶なんてものはない。昨日ラーメンを食べた記憶は本物に決まってる。ラーメンを食べた記憶があればラーメンを食べた事実があるに決まっている。それを疑うならすべてが崩れてしまい、人間としてやっていけなくなってしまいます。


結局のところ、意識は「モノ」ではなく「状態」である、というだけなのかも知れないですね。どういうことかというと、たとえば音楽データのファイルがあるとして、これが記憶だとします。そしてそれはPCとかスマホとかいろんなハードウェアで再生できる。その再生している「状態」が意識なんじゃないのか。「状態」を移し替えるという発想がナンセンスなのかも知れません。PCで音楽を再生しているのとスマホで再生しているの、そんなもの同じか違うかなんて問えやしないのではないか。