すべての夢のたび。

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なぜ自由意志は存在しないのか、の続き

先日書いた「なぜ自由意志は存在しないのか」ってエントリにid:ku__ra__geさんからコメントをいただきました。

偶然ですがちょうど私も最近、自由意志について考えていました。
私は「自分で考えて行動している」ことと「世界は決定論に従っている」ことは問題なく両立すると思います。
http://d.hatena.ne.jp/ku__ra__ge/20150813/1439391600

結局のところ、これは自由意志という言葉は何を意味しているのかという問いなのだと思います。

この時点でぼくはまだku__ra__geさんのエントリを読んでません。

さてぼくも"「自分で考えて行動している」ことと「世界は決定論に従っている」ことは問題なく両立する"には同意します。例えばそれは、考えた結果がいつも同じになる場合です。映画の登場人物なんかを思い浮かべるとわかりやすい。主人公は自分で考えて行動している。それは間違いない。ですが、彼が考えて行動した結果、日によって映画の結末が変わったりはしません。ぼくのイメージするのはそのような感じのことです。この世界も、そうなのかもしれない。

"自由意志という言葉は何を意味しているのか"。そうですね。たぶん、ただ自分で考えることと自由意志は少しちがう。自由には「自分で選択ができる」という意味が含まれているはずです。ぼくは、Aという道を選ぶこともできるし、Bという道を選ぶこともできる。このとき「ぼくは自由意志を持っている」とぼくは言うでしょう。でもじっさいのところは、ぼくがAとBのどちらを選ぶのかは周囲の環境や過去の経験から自動的に決まっている、しかしぼくはあらかじめそれを知ることはできず、自分で考えて選んだ、という感覚を失わない、というあたりが、この世界で起きていることなんじゃないかなーって思います。

意識するより早く選択は終わっている、というのは実験で確かめられているそうです。被験者がAとBのどちらを選ぶか、というのは脳を観察することで数秒前には分かる。その結果を被験者にフィードバックすると、だんだん被験者は自分が自由意志を持っているのか疑うようになっていくとか。

さてここでku__ra__geさんのエントリを読んできましょう。

………………………。

むむむ。やや長くなりますがちょっと引用させていただきましょう。

決定論の世界のサイコロは次に出る目が決まっているけれど、同時に「各目を6分の1で出す能力」を持っている。

次に出る目が決まっているということはこのサイコロの持つ能力は「予め決められた順番に数字を出す能力」ではないかという反論もあるかもしれないが、サイコロの初期位置を僅かに変えた世界では別の目が6分の1の確率で出せることを考えると、サイコロが持っているのは「予め決められた順番に目を出す能力」ではく「各目を6分の1で出す能力」であることがわかる。

同様に、決定論の世界の人間は次に実行する行為は決まっているけれど、同時に「自身の行為を決める能力」を持っている。

この能力を自由意志と呼ぶべきである。

自分の読解力不足かもしれませんが、ぼくはこの「自身の行為を決める能力」は自由意志と言うより"行動の可能性"や"結果の取り得る範囲"とかそういうものに聞こえます。で、それだったらサイコロにも1〜6の目のいずれかを出せる自由意志があると言えてしまうのではないか?と思ったんですがどうなんでしょう。サイコロは自分でどの目を出すか決めているわけではない? でも人間もそうですよね。補足していただけるとありがたいです。