すべての夢のたび。

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『屍者の帝国』観てきた


屍者の帝国は、若くしてお亡くなり遊ばしたSF作家伊藤計劃氏の作品をアニメ化する計画の、その3本のうちの1本です。と言ってもですね、「元々は伊藤の第3長編として計画されていたが、冒頭の草稿30枚を遺して伊藤がガンで早逝、生前親交の深かった円城が遺族の承諾を得て書き継いで完成させた」とのことなので、実質は円城塔さんの作品と言っていいでしょう。

なので、ぼくは原作を未読でした。虐殺器官とハーモニーは読んでますけどね。でもProject Itohアニメの予告が映画館で流れるの見て、なんだかこれも面白そうかも?と思って観てきました。

そのつもりはなかったんですけど、間違えて舞台挨拶付きの回の席を取ってしまいました。でも結果的に良かった。実際には存在しない「屍者」(要するにゾンビ)を声優はどのように演じたのか、って話が聞けて興味深かった。あと監督の、この作品に掛ける思いが熱くてですね、観る前からなんかウルッときてた。

それで、観終わって、帰りの道すじでやっと気づいたのですけど。「死してなお、この世界にあり続ける技術」とはなんのことなのか?

この作品、主人公のワトソンが、死んでしまった屍者技術の共同研究者(以上のなにか)のフライデーを蘇生させ魂を取り戻す、ってことが主軸にあって、そこにいろいろ絡んでくる話なんです。で、あー、ワトソンが円城塔さんでフライデーが伊藤計劃氏なんだと。そういう話なんだって。

そう気づいてから思い返すと、ワトソンの奮闘っぷりがもうボロボロ泣けるわけです。お前どれだけフライデーのために必死やねんと。どれだけの犠牲を払ってまで彼を甦らせたいのか、彼の言葉をもう一度聞きたいのかっていう。円城塔さんが、伊藤計劃氏のことをどうしたら世の中に定着できるんだろうかとこの作品の執筆にあたって考えただろうことと、ワトソンがフライデーの魂をどうしたら取り戻し定着できるんだろうってのが、二重写しになってるんですね。

そこを読み取って描き切った牧原亮太郎監督は見事のひとことに尽きる。やー良いアニメを見せていただきました。でもハダリーの乳はちょっとでかすぎじゃなかったですかね。気になって仕方ありませんでした。あとEGOISTのEDテーマむっちゃいいですね。