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すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

死ぬのが怖くない


昔はこういう記事見ると絡みに行って上から目線であれこれ言ってたような気がします。最近元気ないですか。


「死ぬのが怖い」という気持ちは、たぶん、まだ充分に死について考えきってないから起こるのだと思います。

まず最初に、「死ぬこと」と「死」を分離する。老衰による死、病気による死、事故死、餓死、自殺、そのたもろもろ。それは死に際して発生するそういうイベントが怖いだけであって、死が怖いわけじゃないですね。あ、だから「死ぬのが怖い」って言い方は不正確なんだ。これはイベントのことを言っちゃっている。「死が怖い」が適当ですね。

次いで、「死後」があるかないか。死んだらどこかに行くのか。多くの宗教が語っているのはこっちですね。死後があるとする。と、したら、まぁそれって怖くはないですよね。事実上「死」はないも同然なので。もし怖いとしたら、未知の場所に行く怖さとか、死んでもなお他者とコミュニケーションを続けなければいけない怖さ、とかですかね。あ、地獄相当の場所へ行かされるかもしれないって怖さはあるな。これはおいとく(おいとくのかよ)。


で、問題の、Kさんの語っている怖さについて。

で、何が怖いのかというと、自我とか意識が無に帰す、というのが怖い。そして、それが1年、10年というレベルではなく何十億年も永遠にそういう風でありつづける、というのが恐ろしい。まあ、無として存在しつづける、というのもなんだか変な言い方だし、哲学的な話になってしまいそうではあるけれど。とりあえず、どうなってしまうのかワケがわからないので怖すぎる。


ぼくはこのことの「怖くなさ」を語るのに充分な表現力を持ってないと自覚しています。いや、でも、ほんと、なんでそれが怖いの?って感じなんだよなー。

ひとつ言えることは、無に帰した自我や意識はなにも思うことはできない、ってことです。あたりまえですけどね。みんな、いまの時点から、いつかやってくる(かもしれない)無を怖がってる。実際にそのときがやってきて無になったらもはやなにも思うなんてできないのに。端的に言うと無駄ですよね。いまはいまのことを考えるのに使えばいいんじゃないのと思うんですが。

でも、わからなくはない。いまそれが怖いんだからなんとかしなきゃ仕方ない、って話なんですよねー。なんとかしてあげたさはあるんだけど。

たとえば眠っている間は自我や意識は無に帰してるわけです。でもほとんどの人は死を怖がっても眠ることを怖がったりはしない。おなじなのにね。睡眠中に死んでそのまま無に帰した人だっていっぱいいる。必ず目がさめる保証なんてないのに。でもKさんはお酒飲んで寝てると書いているので、眠りと死はおなじものだってことに気づいてしまったんでしょうね。死ぬのが怖い→眠るのも怖い!じゃなくて、眠るのは怖くない→なんだ死ぬのも怖くなんてないんじゃん……って転換ができるといいんですけどね。


この先へ進むには、やっぱり「私とはなにか」の問題が出てきてしまうんですよね。それを語らずに死については語れない。だからめんどうってわけです。死によって失われる、無に帰すという"私"とはなにか。ここを考え、考えつくし、考えきると、はっと気づいて、たぶん死とか怖くなくなるんじゃないか。

あ、もちろん、それ以外の方法で怖さを克服してる人もいるとは思いますよ。