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すべての夢のたび。

雑記ブログ

脳梁を切断すると左右どちらの脳が私になるのか?

昨日の話に関連して。脳梁を切断すると意識が2つになるという。では、そのどちらが私なのか?


よくある物質転送装置の問題(永井均先生の本とかに出てくるやつ)で、たとえば火星へぼくが転送されるとする。転送装置といってもぼくが亜空間を通って運ばれるわけではなく、スキャンされたデータだけを飛ばして、火星で寸分違わぬぼくが作り出されると同時にスキャナー内のオリジナルは破壊されるというやつ。でも記憶は連続している、さっきまで地球にいた記憶があるのだから、火星のぼくはアイデンティティを主張できるだろう。

でも、もし、オリジナルが破壊されずにそのまま残ってたら? スキャナーから無傷で出てきたら? 火星のぼくは自分こそが自分だと思っているのに、地球にオリジナルがいると聞かされたらアイデンティティがぐらついてしまう気がする。火星のぼくにとっては地球にオリジナルがいようがいまいが起きていることはまったく変わらないのに。


少し違うような似てるような話。シュタインズ・ゲートでも何でもいいけど、ループもののSFがあるとして。どうしてオカリンは/主人公は、必ず「うまくいったほうの分岐」にいるのか? 多くの分岐で正解を選ばなくてはハッピーエンドに辿りつけないのだとしたら、実際には失敗した世界線のほうがはるかに数が多く、失敗したオカリン/主人公が無数にいるのではないのか? それとも単に、それら(失敗ルート)はやっぱり存在していて、でも物語としては描かれていない、スポットライトが当てられていないだけなのか?


脳梁を切断したら右脳と左脳のどっちがぼくになるのか。ぼくはどちらの脳の中から世界を見ることになるのか?

これなんですけどね。何が起きるかというと、右脳は「お、ぼくは右脳側に残ったんだ」と思い、左脳は「あ、左脳がぼくなんだ」と思う。それだけなんですよね。ただそういうことが起きる。「どっちがぼくになるのか」という問い自体に、ほんとうは意味がない。問い方が正しくない。

記憶は脳ぜんたいの中にホログラムふうに蓄えられてる、と言われてます。脳梁を切断すると、それぞれが半分ずつの記憶を持つ、というふうにはならない。それぞれが全ての記憶を持つけど細部がちょっとぼんやりする、という風になるはず(画像データを容量半分になるように圧縮しなおしたようなかんじ)。右脳も、左脳も、どちらも今までの記憶を引き継いで、自分がぼくだ、と思うだけ。

でもここで、言いたくなる。そんなはずはない。ぼくが同時に2人存在するなんて、ありえない。必ず、どちらかがぼくで、もう片方は、ぼくの記憶を引き継いでいるけどぼくではない。赤の他人である。そうじゃなければおかしいと。

そう言いたくなる理由はわかります。それは連続性を仮定している。脳梁を切断される前のぼくと、された後の自分と、つながりがあると思ってる。

それが間違いなんだな。そこはつながってない。いや、実際のところ、意識がいったん落ちると、そこでつながりが切れる。寝て、起きると、もうつながってない。ぼくら自分は何十年とか生きるとか思ってるけど、ほんとは違くて、寿命は1日(起きてから寝るまで)なんですよ。次の日からは、それまでの記憶を引き継いだ別人が、あー今日もいい天気だなとか思って、自分は昨日までと同じ自分だと勘違いしてまた1日を生きるだけなんです。

えーでもだって毎日同じ体で目が覚めるのおかしいじゃんって? どの体で目覚めた意識もそう思ってる。使える記憶って自分の体に入ってるヤツしかないんだから必然的に今日も自分は昨日までと同じ自分だと思うしかない。


……というようなことを、もっとうまく言えるようになりたいと思ってます。