すべての夢のたび。

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正義とはなにか


お題だ!と思っていろいろ考えたんですけど、いざ日記に書こうとすると忘れてるというね。「書く」と「考える」は一緒にやったほうがいいのかも。あと、いまだと『これからの「正義」の話をしよう』を参照しながら語るべきなんでしょうけど、ぼくこの本最初のほうしか読んでないんですよね。なんかその辺で疲れてしまった。のでぼくの考えだけで語ります。


まず「絶対的な正義」ってのはないと思います。それは「いつでもどこでも通用する不変の正義」ということで、そういうのはない。もしそんなものがあったら、たとえば人間が存在しなくなってもその正義は存在する、ということになる。極端な話、人類が世界に存在する以前からその正義はあったし、この宇宙が存在しなくてもその正義はあるのかもしれないみたいな。まぁそれはないでしょう。「人間がさき 正義はあと(みつを)」。

それに人類のありかたが違ってたら正義の形も違うだろうと思いますしね。たとえば食べなくても死なないとか。たとえば全個体が同一で個性というものがないとか。たとえば世界に常に一定数以上は存在できないとか。

そんなわけで正義はローカルルールということになります。時と場所によって変わるものです。


あと、よく言われるのが「勝ったほうが正義」「多いほうが正義」ってやつですね。特に前者。これはそうなんですよね。戦争になって、どちらが勝つのかは始まった時点ではわからない。でも、勝った側は時間をさかのぼって、「戦争をする前から正しかった」ってことにされてしまうんですよね。負けた側は「最初から誤っていた」ということになる。正しくないから負けたのだということにされてしまう。なので、次にもし戦争をするなら絶対勝てるという確信がない限りは最初からやっちゃだめですね。まぁこれはまた別の話題ですが。


「正義の反対は別の正義」ってのもあります。これはキリスト教対イスラム教みたいな話ですね。ぼくはキリスト教徒ではないですが、価値観(正義感)としてはそちら寄りだと思います。石打ちの刑ってありますよね。罪人とされた人の下半身を土に埋めて、みなで大きな石を上半身に投げつけて殺すやつ。これはイスラム法的には正義が行われていることになっている。ぼくには到底受け入れられませんけど、ぼくが正しくてイスラム教が間違っているわけではありません。そしてその逆でもない。あえて言えば、どちらの陣営もローカルルールとしては暫定的に正しい、というようなことになると思います。しかしそれはものごとを俯瞰して見られるようになってからの話で、自分のこどもがもしいたら、石打ちの刑もまた正義なんだよって教えることはできないでしょうね。


辞書を引いたら(最初に引くべきだった……)、正義とは「正しい道義。人が従うべき正しい道理」と載っていました。でも既に述べたように「人間がさき 正義はあと」なので、まず正義があって人がそれに従うのではありません。逆です。いろいろな物事について、誰もがなんとなく「こうしたほうがいいんじゃないかなぁ」という考えを持っている。そしてその考えが近い人たちが次第に寄り集まり、だんだんルールがはっきりと形を取ってくる。やがてはそれが正義とされ、はじめからあったもののように扱われる。こういうことだと思います。


しかし、もともとの記事を読むと、「20字以内で答えよ」ってお題なのに、"強者"とか"勝った方"とか、お前らもう少し頭を使おうって気はないのか、って思わざるを得ません(笑)。少なくとも「◯◯」という形ではないと思う。じゃあ最初から◯◯って言えってことになりますからね。「××である◯◯」とかそういう形で表されるものじゃないのかなー。とは言いつつぼくも20字ではまとめられませんでした。無理だな。言うべきことが多すぎる。

あともうひとつ忘れてた。正義はあとからきたローカルルールなんですけど、行使する上ではそのことは頭から追い出して、「絶対的なものとしてそれに従う」ように扱わないとうまくいかないようです。なぜなのか。