すべての夢のたび。

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助けなくていい人

ジムのトレッドミル(はしるやつ)やエアロバイク(こぐやつ)にはテレビが付いてます。単調な有酸素運動を延々やるのでたいくつしないようにと。そこで、テレビ点けたら震災の特集みたいなのやってたんですよ。


津波てんでんこ、ってことばは前から知ってました。

津波てんでんこ - Wikipedia

「てんでんこ」は、「各自」「めいめい」を意味する名詞「てんでん」に、東北方言などで見られる縮小辞「こ」が付いた言葉。すなわち、「津波てんでんこ」「命てんでんこ」をそのまま共通語に置き換えると、それぞれ「津波はめいめい」「命は各自」になる。


「津波てんでんこ」「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。

実施で学んだんですね。誰かを待ったり、誰かを助けたり、それは美しいけれど、結局どちらも助からないということがある。津波はそんな甘くない。まず自分が助かることを考えてバラバラで逃げろと。皆がてんでんこに逃げると決めておけば、自分を待ったり助けに来たりして逃げ遅れる人もいなくなる。結局それが一番、全体の生存率を高める。

……というのをやった後に、自治体の課題として、1人で動けない老人等をどうするか、ってのやってました。あらかじめそういう人の居場所を調べあげとく云々。消防団が云々。みたいなの。

でもそれ「てんでんこ」の思想とまったく矛盾してませんかね?って思った。


ぼくはもう津波来たらそういう1人で動けない老人とかは助けなくていいと思うんです。その1人を助けるために、何人かの手は必要じゃないですか。たとえここで生き残っても先の短い人のために、もっと命の価値の高い、より若い人たちが犠牲になるかもしれない危険を犯すことはないと思う。

平時はいいですよ。余裕があるうちは。でも、災害がやってきたらそこまでとする。それでよくないですか? 老人から学ぶべきことがあるとしたら平時に学んでおけって。


本当はこんなことはぼくが言うべきじゃないんです。それは知ってます。あれですあれ。コンビニの客が「お客様は神様だろ!?」って自分で言っちゃうようなやつ。それと同じで、言う主体が違う。本当は老人自らが「私たちのことは助けなくていい」って言うべきなんです。そうすればみんな、てんでんこに逃げられる。

まぁどうかなー。少し前まではそんなこと自分で言うなんてあり得なさそうな雰囲気でしたけど、最近はどうでしょう。少しは、年寄りは、この国のお荷物になってるって、そういう自覚を持ったお年を召した方たちもいるんでしょうか。若い世代に強制されて嫌々ではなく、自らの意志で、退いていただければ、もう場所を譲っていただければなぁ、と思うんですけど。ぼくが言うべきことじゃないのはわかっていますが。