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すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

イタリア的


「平凡だが幸せで満足できる人生を送る方法」― こういったタイトルの記事って、もう山盛りお腹いっぱい読みすぎて、読む前からだいたい内容が予想できちゃうようなものばっかりですよね。でも今回のはちょっとだけ違った。

世の中ではクリエイティブさや生産性、効率性などが求められることが多くありますが、「素晴らしいものを求めると、その分何かを犠牲する」ということで、人間があえて質の低い平凡な結果を生み出そうとすることを指す「kakonomics」という現象も存在します。このkakonomicsをベースにして人生を送る人々の考え方をBBCがまとめています。


カコノミクス。ふーん初耳。まぁそれはいい。イギリスの哲学者とフランスの社会学教授がイタリアについて研究をしたとのこと。イタリアでのカンファレンスやワークショップではこんなことがふつうに起こるそうです。

  • 割り当てられた時間に対してスピーチの長さが半分になったり2倍になったりする
  • 論文の根拠が適切に改訂されていなかったり、他の根拠とごっちゃになっている
  • 事前の連絡なく会議に欠席したり、逆に出席したりする
  • メッセージは消失する
  • 弁済は遅れるか忘れられるか額を減らされる


ウケる。さすがイタリア人。で、哲学者と社会学教授は、こんなことイギリスやフランスじゃ起きないのになぁ、と思ってイタリア的なユルい価値観について研究し論文を書いたと。

イタリアでは自由に遊び暮らすことを「la dolce vita(甘い生活)」と表現しますが、この時の「自由」が生活の全てにおける「自由」を指すとすれば、甘い生活は非常に高くつきます。つまり、この時の自由とは高水準を求めないことの見返りとして得ることのできる自由、のんびりした暮らしぶりの意味になります。イタリア人の哲学者であるOriggi氏によると「人々は時に効率性の支配に耐えかねて、事態を和らげる傾向がある」とのことで、「甘い生活」という価値観のあるイタリアではkakonomicsがよく見られる様子。


このまとめが、ぼくはなんかいいなと思ったんですよね。読んで、よくわからないじゃないですか。書いてる本人もわかってないのが伝わってくる。そしてラ・ドルチェ・ヴィータ、甘い生活って、どうもぼくらがイメージしてたのとは違うらしいぞ、って思えてくる。余裕(とそれを裏付ける金)を持った上で爛れた生活を送るってわけじゃないのね。どうにもとらえきれない。

そしてそのとらえきれなさって、きっと欧米人が侘び寂びとか禅とか幽玄とか、そういうニホンゴの意味を聞いたときの、わかったようなわからんような……ってのと等質なんじゃないかって、そんな気がしたんですよ。きっとカコノミクスは単なる「求め過ぎない」じゃない。イタリアに生まれその空気の中で育った人にしかつかめないようなものじゃないかなって。きっとなんか深いものがあるんだろうけど、でもぼくらが侘びってなんなのか説明して!って言われてうまくできないようにイタリア人もまぁまぁとか言って説明してくれなさそう感ある。