すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

宗教は生活に先立つ

スイスでトルコ出身の移民の夫婦がイスラム教の信仰に反するとして娘を学校の水泳の授業に参加させることを拒否し、スイス当局と争っていた問題で、審理を行っていたヨーロッパ人権裁判所は、宗教上の理由による授業の免除は認められないとする判断を示しました。


これはちょっと、個人的には「ないなぁ」と思いました。

ぼくの考えなんですけど、宗教は生活に先立つものです。そりゃ、人間がおサルから進化した当初は、宗教はなかったでしょうけれど、宗教ができてからは、それは生活に優先するものとなります。でなければ、異なる宗教間で戦争なんて起きやしないし、自爆テロなんてできるわけがない。明確な宗教がない日本だってそうです。神道や仏教の教えにあるいろいろなことが生活の中に、意識できないほどに組み込まれています。生活は宗教の枠組みのなかで成り立っているものです。

宗教の教えはそうそう簡単に自分の都合で曲げられるものではありません。なので、イスラム教徒の両親は、女性が男性の前で肌を見せるものではないというイスラムの教え(正確なところはよく知りませんが)に従い、娘2人を男子と一緒の水泳の授業に参加させるのを拒否したわけです。解釈を変えて対応できる程度のものならそうしているはずです。そうはできなかったわけです。

ですが、ヨーロッパ人権裁判所は「宗教上の理由による授業の免除は認められない」と言った。これはつまり、「キリスト教の教え>生活>イスラム教の教え」であると言い渡したということに違いなく、もっと言えば、「キリスト教徒の地であるヨーロッパはイスラム教徒を受け入れない」という宣言にほかなりません。

実際には宗教は生活に先立つものなので、ほんとうは宗教がらみのことを裁判なんかで決められるわけはないのです。決められるんならイスラム教は宗教と認めないと決めてしまえばいい。まぁでも、今回の判決はそれを言っているのに近いものがあります。イスラムの教えなんて守る必要がない、ってわけですから。ヨーロッパ人権裁判所というところが、そこまで意識し覚悟を持ってこの判決を下したのかどうかはわかりませんが、いずれにせよまた世界中のイスラム教徒から大きな反感を買ったにちがいありません。