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すべての夢のたび。

雑記ブログ

人の営みを機械が代替することの意味

ニートだけはロボットで代替されない

原則としてロボットは利便性・生産性の発想のもと、明確に役にたつ機能をもつものが生み出される。

ありとあらゆる職業人にとってかわることがロボット開発・製造の目指す目標であるが、ニートを目指して生み出されるロボットは存在しない。

そう考えるとニートこそもっとも人間らしい存在なのかもしれない。


はてな匿名ダイアリーより。上の3行が全文です。あれ、ということは引用の要件を満たしていない? まぁいいか。きっとはてな内の規約でサービス間の引用はOKとかになってんじゃないか。なってなくてもいいけど。


そんで、ニートをロボットにする意味なんですけど。増田は「ニートを目指して生み出されるロボットは存在しない」って言いますけど、そらそうで、ニートは何も生み出さないからなんですね。まるでなんの役にも立たないから。アウトプットがゼロなわけです。インプットのみでアウトプットがゼロ。だったら、「ニートロボット」の代わりに、マザーボードを抜いたパソコンを置いておいてもいいわけです。LANケーブルはつながってるけどなにもしない。ていうかダンボール箱でもいい。ダンボール箱でもニートロボットと同じ、何も生み出さないということをします。

でもまぁ実際にはニートはなんか食べたりもしますので、そう考えるとニートに一番近いのは生ゴミ処理機ではないでしょうか。生ゴミをぶち込むと堆肥作ってくれるやつ。もうあるじゃんニートロボット。


将棋や碁では人間はAIに負けてしまいました。ディープラーニングという武器を得たAI業界の進化は恐ろしいほどの目覚ましさで、いずれはクリエイティブな分野にも進出してくると思います。ちょっと前には線画に色を塗ってくれるサービスが話題になってました。絵師の人がその塗りっぷりに驚いたりしてた。そのうち萌え絵を生成するサービスも出てきてしまうんではないでしょうか。クリエイターの仕事の多くはAIで代替可能なんじゃないかと思います。

そしてここでニートが登場します。情報を作り出す側はAI化できる。では受ける側は? ニートのような受け手を機械が代替することの意味とは?

ニートはアウトプットがゼロでしたので、興味深くはあるんだけどちょっと置いておきます。アウトプットがある受け手の場合はどうでしょう。より的確に、映画や音楽やTVアニメやpixivの絵やラノベを評価するAI。これはそれなりに需要があるような気がします。

じゃあ、「そこに込められたモノを人間よりうまく受け取れるAI」というのはどうでしょう。人より音楽に対する理解が深いAI。映画を見て人より感動するAIとか? でもそもそもAIが何をしてたら人はAIが理解しているとか感動しているとか思うんでしょうか。アームがぐるぐる回ってたら? LEDがすげー激しく明滅してたら? その時のAI内部表現が問題なんでしょうか。でも対・人の場合だって、「心のうち」なんてものは結局わからないので、外から見て判断するしかないですよね。その人の様子を見るとか、書いたものを見るとか。あれ、でも、それって機械で代替可能じゃないですか? 機械が「うまくやる」ことが可能なレベルのものじゃないですか? 受け手のAIも作られちゃうんですかね?


ものすごい受け手としてのAI、映画を見て音楽を聞いて深く感動しそこに込められた意味を的確に外部に表現できるAIができたら、じゃあぼくらは「もうAIにはかなわんわ」と言って映画を見たり音楽を聞くのを止めてしまうかというと、そうはならない気がします。誰かがどう感じたかではなくて、「このわたし」がどう感じたか、このわたしの内部表現こそが問題であるからです。「このわたし」をなにかに代替させることは難しい。あれ? ということは「このわたし」以外のすべては代替可能なのか。それって昔からのSFだ。残るのは昔からの古い大きい謎ばかりですか。


追記:将棋や碁は機械に勝てないのでもう衰退するのではないか?と一時考えていましたけど、「それをすることがたのしい」という層はいるわけで、機械のほうが強くなっても将棋や碁も残る、と考え直しました。だって車のほうが速くてもジョギングしてますよね。