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すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

死とはなにか

誰でも「死とはなにか」と考えたことがあると思います。ぼくも昔からずっと考えていました。現時点での答えは「死とはなにかわからない」です。

ここでの「わからない」は、まだ考えている調べている検討している最中なので「わからない」というわけではなくって、あらゆることを考え抜いたすえ、結論として出た「わからない」です。死とは"A"でも"B"でも"C"でもなく、"実際死んでみるまでわからないものである"ということです。

死はそこら中にある、ありふれたものです。身近な人の死や、ニュースで見る死、フィクションの死、歴史の中の死。つまり出来事としての死。これらはぼくらの生において、瞬間、自分の死、死ぬ時はどんな状況・死に様なんだろうということを思い起こさせたりします。また、科学の語る死や宗教が語る死もある。それらはもっと俯瞰的に、死後、について考えさせる効果があります。

前者も重要ですが、ここで語るのは後者のことです。

科学が語る死は一般に「死んだら終わり」です。いっぽうで、宗教の語る死は、たいてい、死後があります。死んだあとも続くものがある。天国や地獄へ行く、人間あるいは他の生物に転生するなど。科学は、死んだ後も続くもの、魂とか?について現在のところ観測できていないので、そういったものはないものとしています。仏教などは輪廻転生の輪を抜け出す(解脱)を目標に置いているように(ぼくの雑な解釈では)感じられるので、そのあたり科学に近いところがあるのかもしれません。

宗教はたくさん種類があるので死についてもたくさんの見解があります。プラス、科学の語る死が若干あります(死んだら終わりではなく、転生すると考えている科学者もいます)。でも、結局のところ、これらの全ては、推測や観察の結果にすぎません。「わたし」は「わたし」以外の全てとは異なるので、「わたし」の死が「わたし」以外の全ての死と同じであるかどうかは、「わたし」が死んでみるまでわかりません。

そうなんですよね。死んでから戻って来て「死ってこうだったわ」って語った人にあなたがまだ会っておらず、その人の言うことを信ずるに足ると結論していない以上、あなたは死についてほんとうはなにも知らないのです。あなたが死について知っていると思っている全てのことは、ただの伝聞や想像にすぎない。極端な話、あらゆる宗教の語る死はほんとうにそのままで、信仰している宗教ごとに、いや人ごとに、違った死後を迎えている可能性すらあります。科学を信仰してる人は単に死ぬと消失してたりね。もし神がいて、神が万能なら、この世界がそういうセカイに創られたことは、あり得る。

そんなこんなで、死についての問うべきことは最終的には究極の二択に絞り込まれます。つまり死後はあるのか、ないのかです。でもこれについても心配することはないんです。死後の世界があるなら、死とはただの入眠にすぎない。眠り、起きると、別の世界にいる。ただそれだけです。また、死後がない、死んだら終わりであれば、やはり死とはただの入眠にすぎません。眠っているうちに心臓発作か隕石の落下で死に、二度と目覚めることがない。それと同じです。

死は入眠と同じなので、怖いものではないです。ベッドに入る前に、このまま二度と目が覚めなかったらどうしよう、と心配する人はいるでしょうか(ちょっとはいるのは知ってる)。でも、二度と目が覚めなかったら、二度と目が覚めなかったことに気づくことすらないので、別になんか心配することはなさそうです。もちろん、目が覚めたら覚めたで、また生が始まるのだから、その喜ばしさに比せばあらゆる心配事はささいなことではないでしょうか。

というわけで、死とはなにかわかりませんが特に心配はいらなそう、ということになります。むしろぼくには楽しみですね。考え抜いた結果の答え合わせですから。まぁ死後がなかったら答え合わせの結果も知ることはないんですけど、知ることはないってことも知ることはないので何の問題もないです。それが"永遠の眠り"ってことです。

そして当面解決すべき問題は、出来事としての死、出来事としての自分の死になります。老死、病死、それとも事故死、自殺。現世といくらか関わりあるこちらには、ちょっと気を遣ってやる必要があるかもしれません。