すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「生きるために働く」はほんとうか?

近頃わりとツイッター、ぼくのフォローしてるのがぼくと同じ労働者階級のひとたちばかりなせいもあると思うんですけど、会社批判、経営層批判、いまの日本の労働状況批判みたいなのを、目にする機会がいっぱいです。

その中で、最近特に多い、残業、サービス残業もう嫌!みたいなツイートを眺めてて時々、「俺は働くために生きているんじゃねえ、生きるために働いているんだ!」みたいのを目にします。

これただしくないとぼくは思うんですよね。

働くために生きているんじゃなくて生きるために働いているんだ。働くのが先ではなく生きるのが先だ。っていうこれ、人間の言語の構造からくる誤謬だと、ぼくは考えています。

人間の使う言語って、一次元的なんですよ。いちどにひとつのことしか語れない。だから、絵を見ても、「空があって、一面の緑があって、真っ青な空には白い雲があちこちに浮かんでて、広がる大地には青々とした木々や芽吹いた春の草や、そしてまっすぐ伸びる道が……」みたいなことを、ひとつずつ順番に言ってく。ほんとうは、それらのすべてはただただ同時に存在しているんです。でもぼくらがそれを語ると言語の制約から先後が生じてしまう。ひとつひとつのモノゴトを順番に語っていくしかない。だけど、それって、事実とは違うんです。

仏陀も言ってる。『正見』、セカイをありのままに見よ、って。

「働くために生きる」も「生きるために働く」も、ほんとうはどっちもウソ、なんです。それらはただ同時にある。働くことと生きること、生きることと働くことは、ある人にとっては、イコールで結ばれる。ただおなじことなんです。別の人(働かずに生きられる人とか)にはまたちがうことかも知れないですが。

だから、ここが肝心なんですが、「人は働くために生きているのではなく、生きるために働いているのだ」という前提から導き出されている人生訓っぽいヤツのかずかずは、だいたいうそです(笑)。前提が間違ってるんだからさぁ、しょーがないよねー。世の中、他にも、おなじようなロジックで語られてること、いっぱいあります。気をつけようね?