すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

世界が自己責任であることについて

自分のものの考え方はときどき点検する必要があると思ってます。


ぼくは最終的にはありとあらゆることが自己責任だと考えています。理由はシンプルで、生きることは義務ではないからです。死んで良いんです。義務ではないのに、人は生きることを「自分で選択して」生きているのです。自分で選んだんだから、そこで何が起ころうが自己責任ですよね。そういう考え方です。(宗教によっては生きることを義務としているものもあるので、そういう宗教を信仰している人にはこの考え方は適用できません)

……という、この考えが最近ちょっと揺らぐようなことがありました。ぼくらは世界に生まれてくるかどうかを選べなかった、と言う人がいたのです。生まれたいかどうかを聞かれず、ある意味強制的に世界に存在させられたのだと。なるほど、そうであれば、なのにそこで起こることは全部自己責任だよって言われたら、ちょっとどうなのかな?って思っちゃいますね。

けれど、すこし考えて、「生まれるかどうかの選択」があるなんてウソだな、と思いました。人はまず、生まれてから、やがてその人になるのです。生が先で、人が後で、生なしの人というのはあり得ない。生まれる前を考えることは意味がない。既に生きている状態から問いは開始されるのだと。


でもまだぼくの考えには穴があるかもしれません。ひとつは、生まれてからその人になるまでの間のことがあります。要は赤ん坊とか、まだ自我がない子供のことです。赤ん坊がひどい病気に罹患して苦しんでいる時に、それを自己責任と言えるだろうか?(大人相手なら言えます。大人ならそこで死を選択可能ですから) もうひとつ、生を選ぶのも死を選ぶのも自由だとしても、死を選ぶのはちょっとハードルが高いのではってのがあります。それゆえ生きざるを得ないのではないか、という面は確かにあるかもしれません。まぁこのあたりの思想的瑕疵もゆくゆくは塞いでいけたらなぁと思います。