すべての夢のたび。

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自己責任の使いかた

世界が自己責任であることについて - すべての夢のたび。



前日の記事についての付記です。


「世界が自己責任であること」、世界のなかで起こる全てのことが自己責任であること。この考えをぼくは正しいと思っています。が、一方で、世界に絶対に正しいことなんてないんだとも、絶対に正しいことが仮にあったとしてもそれは人間には知る由もないだろうとも思っています。だから「世界が自己責任であること」ってのは、ある意味ぼくの信仰なんですね。

だから他人にこの考えを押し付けるつもりもありません。多くの人は、自己責任であることと、他者の責任であること、運命であること、ただの偶然であること、などなど、まぁいちいちこれはどれなのかと考えたりはしないでしょうけど、もし聞かれればそんなふうに答えるんじゃないでしょうか?

かく言うぼくも、たとえば会社で仕事しててなんか具合の悪いことが起きたとき、原因を考えて、これはあの人のせいだな……というふうに考えたりはします。平時はそんな感じです。ただ、もうどうしようもないときに、信仰に頼るんです。自己責任なんだからと。そこは最後の地点なんです。諦めて、受け入れるところ。で、まぁ仕方ないか、と先に進むわけです。


あとですね、この信仰は、たぶん死ぬ時に役立つ。つまり、死の間際に、ふり返る時間があったとして、満足行く生だったらいいですよ。でも、もし、そうでなかったら? そこで、誰かのせいで自分の人生は失敗してしまった、という思いが湧いてしまって、そのまま死んでしまったら……? なんかぜんぶ台無しくさくないですか。そう、なので、自己責任であることをきちんと知っておくことは、大事なんじゃないかと思うのですよ。