すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

説得力のある神の存在証明をする


それはすごい面白そうですね、と思って読んだらつまらなかったです。数学? 算数では?


「神はいる/いない」と「人はいる/いない」を組み合わせると4ケースができます。このうち、「神はいない・人はいない」と「神はいる・人はいない」は無視していい。だって現に人はいるから、と話は進みます。

で、「神はいない・人はいる」と「神はいる・人はいる」を比べると、おそらく後者のほうが人は存在しやすい。だって神はなんでもできるから人を存在させるのも神がいないときより簡単だろうって。

さらに、一神教より多神教のほうが人は存在しやすいだろうって。だって後者は神がいっぱいいるわけだから。

さらにさらに、この世がシミュレーションの中である方が人は存在しやすいだろうって。なんでかって、シミュレーションは「シミュレーションの中のシミュレーションの中の……」ってずっと繰り返せるから、数がすごい(無限に?)多いってことになる。つまり確率的に人が存在しやすい。

合理的に考えるとこの世はシミュレーションであるという。さてどこが間違ってる、どこにウソがあるんでしょうね。


シンプルに考えると、まぁぼくも、神は定義上万能ということなので、なにもない塵芥から偶然人間が生まれるより、神様がホイと宇宙を作るほうが楽だろうなぁとは思います。しかし、「できる」と「やる」は別の話だろうなぁ、という気はするのです。それが可能であっても、無益だったら、特に意味がなかったら、有害だったら、それをやる理由は特にないだろうなぁ、と思いませんか? 毒を飲むことはできるけど毒を飲むだろうか?

ということは逆算すると、わざわざそれをやったのだから神様は人間が好きということかー。有り難い話ですね。ここから宗教を始められますかね?