ほう、深いことを言ってそうなデタラメに感動してしまう人は慈善活動に不熱心なのか……。いやこれ、要約できないからそのまま書くしかないでしょう。
以下、例として挙げられている文章です.
- 隠された意味が抽象的な美に変化する
- 健康と忍耐が将来の創造性を提供する
- 川の流れは岩を切る。それは川の力によるものではなく、根気のよさによってである
- あなたの教師は扉を開けてくれるが、そこから歩き出すのはあなたがするべきだ
このような文章を14個、デタラメとそうでないのと7個ずつ読まされた被験者に去年のチャリティーへの寄付を聞いたところ、デタラメを好んだ人のほうが寄付が少ない、という有意な相関があったそうです。ちなみに上の2つの文章がデタラメです。
そして、
「私たちは調査結果を分析した結果、デタラメな文章と含蓄のある文章を見分ける力と慈善活動への意欲の間に相関関係を発見しましたが、どのようなメカニズムが根底にあるのかは説明できません」とエルランドソン氏は話しました。
とのことです。いやいや、エルランドソン氏さー、そもそもあなたがこの実験を企てたのはなんかの直感があったからですよね?? なぜやろうと思った。そこ説明してくれないともやもやしたままで終わりなんじゃがー!という感じです。
しかし、ぼくにはデタラメもなにか意味のあることを言ってるように見えなくもないです。というか、デタラメというより「耳に馴染みがない」と言ったほうが適切な気もします。下の2つの文章も、意味がある文章と言うよりは前に聞いたことがある話、知ってる話の変奏にすぎないと感じます。ただそれが寄付するしないにどう関わってくるのかはわかりませんけどね。もしかしてシンプルに、頭いい人のほうが寄付する傾向が強いとかだったらどうしよう。