読みました。でも大事なのはたぶんここだけです。
また、全てのユーザーが喜んで受け入れる「適切な量の検閲」は存在しないとも述べ、インターネットを快適で安全な空間にするためには、いくらかのユーザーが不満を抱える結果になってしまうだろうと言及しました。
……いきなり宗教の話になるんですけど、世界をどういうものと捉えていますか。究極的に最良の状態へ向かうべきであって、最後の最後は絶対安定静止状態になるって見方でしょうか。
ぼくはそうではなくって。たとえばアルファとベータの間でバランスが悪くてどうにもアルファ有利、というときに、ではベータの方に傾けましょう、とやっても、ピタッと中間で止まることは絶対になくって、必ず行き過ぎると思ってるんですね。もしくは、中間の手前でブレーキが掛かって、逆向きに戻り始めるかもしれない。(アルファとベータは男と女でも健常者と障害者でもいいです)
何かが変わるとそれによって何かが変わるので、絶対安定とかはないと思うんですよね、世界は。あるとしたら最後くらいじゃないですか。
それでなんの話でしたっけ。検閲でしたっけ。検閲はぼくの立場からすると良くないことなんじゃないかと思います。が、なんていうのかな……。絶対検閲禁止!なんてのは、いま現在のパワーバランスからすると到底通らない気がする。ある程度Google様とかが「あっこれ出しちゃやばいやつ」とか判断して検索結果に載せない、というのは仕方ないとは思う。まぁそれでいいんじゃないですかね。
それで言論の自由は守られてんの?と言うと、たぶん守られています。ツイッターで凍結されるのはツイートしたあとですからね。ツイート前に凍結って、まだそうなってないですよね。そしてツイッターの他にも発言できる場所はあります。たとえばこことか。