すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

3days to heaven.

逃避から逃避へ。ROを辞めてダークサイドを思索することに戻ってきた満ちルです。
脳内常設のテーマ「死ぬことは怖くない」についての考察が、ちょっと前進したのでご報告。


死ぬことが怖い、と感じるのは、次の2点が主要因じゃないかと思ってます。
1.多くの死に伴うと思われる、物理的な痛みや苦しみ。
2.「自分」が存在しなくなってしまうこと。

えーと、1については、うちも怖いですw できれば避けたい。例えば自殺を考えているなら、一瞬で意識が遠のく首吊り、充分な高さからの飛び降り、流行の睡眠薬・練炭コンボなどの手段であれば1は避けられると思います。というか、痛み苦しみは死とは別物であって、分けて考えないと混乱します。

より問題になるのは2でしょうか。「自分がいなくなるなんてゾッとする」「想像もできない」ので怖がってる人が多いようです。でも死んじゃえば怖がる自分もいないんだから怖くないんじゃん?と思うんだけど、「怖い派」の人にはこれは言葉遊びにしか聞こえないようです。

けれど、最近気づきました。「そもそもうちが生まれる前はうちは存在しなかったんだ」と。これはものすごい発見です!w 「怖い派」の人は自分の誕生前の時間をもっと怖がっていいはずです。だって死後とまったく同じように、そこは自分のいない世界なんだから。

「死んだら自分はいなくなるんだ。怖〓」の反対に「生まれる前は自分はいなかったんだ。怖〓」って日々怖がるとか、「もし自分が生まれなかったら今自分はいないんだなぁ、怖っ」てふうに怖がることはあってもいい。でもそう感じる人はあまりいないみたいですw ここまで来れば、「ない」のが怖いのではなく、「いったん存在してしまったものが存在しなくなる」のが怖いんだ、ということが見えてきます。つまり要するに、「自分がいなくなるのが怖い」というのは執着、現し世に対する執着なんじゃないのかなぁというのが、うちの現在辿り着いた地点です。ちがうよーって人はコメントください。(うんうん、でもいいですw)


ではどうやって執着をなくしていったらいいんだろうか。これは個々人で異なるので答えるのが難しいです。うちなんかは、自分が死んでも困る人はいないし泣く人も2人(両親)だけだなあ、って程度の執着度なんで。自ら、ここを去ろう、と決意したら3日あればいい。1日目で身辺整理をし、2日目でやりたかったことをやり、3日目で好きな人にさよならを言います。当HPのタイトルは実はそんな意味です。や、天国に行けるなんて思ってないですがw、そこは語呂で。