すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

…か…か。

るりあさん(id:rulia046)のページで、件の質問以来「現実とフィクション」について何度か考察がなされていて、あーじぶんも考えねヴァーと思うのですが、なかなか進みません。つまるところ優先度低めのバックグラウンドタスクに設定されてしまっているようです。


たとえば南京大虐殺はあったのかなかったのか?という場合、じぶんにとってそれは、現実とフィクションの中間くらいの領域に位置しているのです。いくら、あの写真は全部嘘でしたーって本(南京事件「証拠写真」を検証する)が出ても、それを検証したのはぼくではないし、かといって、「事実だった」というほうに付く気もない。「じぶんで真偽を検証し納得するのにかかる手間」>>>>>「得るもの」、ゆえに保留ぅ〜、って感じです。(懐疑主義?)

でも思うに、たいていのものごとは、この領域に置いちゃってます。小説と思ってたらノンフィクションだったとか、でも脚色されてましたとか、新聞に捏造記事が載ってたとか、ブッシュの超ひみつメモとか、そんなのいっぱいあるじゃないですか。保留です、みんな。「真善美」のうち、「真」の優先度は、じぶんの場合はいちばん低そうです。逆順かな。偽であっても、善ければ良い。偽であり悪であっても、美しければ好い、みたいな。

んで、たぶんそのさらに上位の判断基準として「損得」があり、さらに最上位には「面白いかつまらないか」が存在します。と言いたいところなのですが、以前に「ネタとイベント」について書いたとおり、実際は「損得」が最上位でしょうねぇ。ネタのために死ねねえよ、というわけでなく、おそらく「面白い」が「得」に含まれてしまうのかなぁと思っています。


「現実」が「感じる」、「フィクション」は「考える」に対応するんだろうか、とちょっと思ったのですが、未考察です。