すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

またまたレス

rag_enさん

「真の意味での「ない」(中略)考えることができないのです。」の部分がちょっと疑問なんですが、例えば創造、生産活動、もうちょっとユルいところでいくと深い目的もなく「あー…何かないかなぁ。」なんて思いながらフラフラとコンビニに行く行為などは、思考の順序的に「ない→ある」になるんじゃないかなと思うのですが。


フラフラコンビニ。それは、糸井重里さんの言うところの「欲しいものが、欲しいわ」(=「欠如」(という概念)が「ある」。すごくむかしの西武百貨店の広告コピー)なんではないですか? まぁこれは半ば冗談ですけども。でも、そこには、明確に意識化・言語化できないなにかが「ある」のではないかと思います。

つーか、楽゛さんか。すみません、素で気づきませんでした。


trivialさん

ご回答いただきありがとうございます。
ただ、2と4へのご回答は正直いって意味がわかりませんでした。


まず、言葉の使い方の問題かも知れませんが、わたしがレスしたら全て回答というわけではないと思います。それはヒント(のつもり)だったり、さらなる問いだったりする場合も、あるのではないかと。

テーブルから林檎が持ち去られるのを見なかった人が「林檎がない」と言わないのは、会話において余計なことを言わないという原則に従っているだけで、「ない」という語の意味とは無関係なのではないだろうか?


これは「ちょっと違うところに注目されちゃったかな?」という感じでした。trivialさんの言うところは、常識的にはそうでしょう。しかし、それを言うなら、林檎が持ち去られるのを見た人も、別に「林檎がない」と言わなくてもいいですよね(思ってることを、全部口にする必要はない)。口に出して言う言わないではなく、あの説明で伝えたかったのは、通常、「ない」ということを言うためには、まず「ある」ということを知らなければならない、というようなことです。

(余談ですが、trivialさんの言う「余計なこと」を定式化できれば、人工知能の開発におけるフレーム問題は解決する気もします)


で、楽゛さんとtrivialさんの共通の疑問である、「真の意味で『ない』ものは、考えることができない」です。まず、わたしは、「それ」について、語っていません。語れないのです。定義上、語ったとたん、それは「“2番目の/見かけ上の”ある−ない」に堕してしまいます。語ってたじゃん、と思われたら、そうではないのです。それは、わたしが月を指差したつもりが、お2人は指先を見てしまっている、ということです(指差し方が下手だ、という点は、承知しています。申し訳ありません)。いや、ほんとは、指差すこともできないんですが(だって、「ない」んですから)。

こう考えることができます。世界・宇宙・全てであるところの「何か」のなかの、特定のモノ・コト(例えば「林檎」「空間」「論理」)について、その存在の「ある−ない」を言えるとするならば、それらの集合であり総体である「何か」についても、「ある−ない」を言えるはずです。「何か」は「全て」です。「全てがない」という状態について、想像できるでしょうか? おそらく、できないと思います。と言うよりは、想像できたら、それはわたしの伝えたいものとは違うものです。無茶苦茶なことを言っているようですが、語り得ないものについて伝えようとしてるわけなので、ある程度先からは察してもらうしかありません。


夜空を見上げて「暗い空を見ている」と思ったら、それは違うのです。「暗い空を“見ていない”」のです。暗いということは光が来ていないということですから、見えているわけではない。夜空の「星がない部分」は、あなた/わたしの眼から直線で150億光年先まで、星がないということです(これは詩的表現です)。しかし「暗い空」を感じることはできる。「真の意味で『ない』もの」も、そのようにして、その類推として、感じ取ってもらえればなぁと思います。