すべての夢のたび。

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技術がSACを加速する

雑誌『ユリイカ』10月号、特集「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」で、上野俊哉さんが「SAC」(スタンドアローンコンプレックス)を、「あるものが個性化、特殊化、独創性を目指せば目指すほど、ますます凡庸なものとなり、容易に他のものと同等なものに並列化してしまうこと」と定義されていました。

うん、そう、と思った。P2Pファイル共有ソフトを最初に使ったときの「ああ、これは、“みんなのHDDの中身を一緒にするツール”なんだ!」という感覚です。HDDの容量が、回線速度が、利用者の「意欲」が、上がれば上がるほど、各人のHDDの中に保存されているファイルは同じものになってしまうわけです。


同様のことが、Google・iTMS・はてなブックマークにも言える。誰がGoogleで「100件目」「1000件目」なんてとこにランクされたページを見るんでしょうか。iTMSでは「知っている曲」しかダウンロードされない。あそこで「ちょっといいバンド」を探すにはいったいどうしたらいいのか? ブックマーカーがその「仕事」を競い合い、利用者が旬のネタを求めるほどに、読まれるエントリは同じものとなり、頭の中が「並列化」されていくわけです。このようにして、新しい技術が出てくれば、世界が均質化されるまでの時間はどんどん短くなります。

そして技術は、あらゆる場面で「上」と「下」の差を拡大することにも貢献します。「上」は、仕組み上、加速度を付けて遠ざかっていきます(アクセス数が100倍違えど「注目エントリ化」の閾値は変わらず、そしてみな注目エントリしか読まない)。いったん「上」になることができれば、ある程度自動的に前進するようになります(あなたはどうやってアンテナに登録するページを探しましたか? アンテナに入れることと外すこと、どちらが多いですか?)。「なにもしていない人」は同じ所に留まっていられると思ったら間違いです。どんどん離されていき、相対的には「下」へ向かうのです。漕ぎ続けていなければ同じ場所にさえいられなくなる。いま行われているのはそういうゲームです。

流通する情報の総量が増加しても個人が処理可能な量には限りがあるので、「なるべくなら」とみなが「よいもの」を求める結果、みなが「同じもの」にアクセスし、同じ色に染まってしまう。きっと経済とか他のジャンルで起きているのも同じことなんでしょうけど、その辺はくわしくはわかりません。


問題の多くは、評価軸が「数」であること、でしょうね。アクセス数・リンク数・被登録数・ダウンロード回数、その他もろもろ。単純な「質より量」というわけではなく、個々人は「質を評価したつもり」でも結局は「量の評価に変換されてしまう」ところが難しいのだと思います。だからもっと、ちゃんと「情報の質」を評価できる仕組みが作られないと、世界はますますSAC化していってしまうのです。いまはせいぜいが「キーワードによる引っ掛け」くらいしかないですからね。自然言語検索か、あるいはもっと先の何かか? そういう技術が望まれているのだと思います。

……というオチを付けてまとめようかと思ったんだけど、それはありきたりだなぁ、と感じました。たぶんすこしチガウ。「みんな」はそもそも、読みたい記事なんてないんじゃないのか? ただ暇なんじゃないの? なにを読むんでもいいんじゃないの? 「受け」なんじゃないの? ってあたりがホントウなんじゃないかと感じてるんですがどうなんでしょうか。


上野俊哉さんによるSACの定義にはもうひとつあって、それは「あるものが徹底して個体性を排除し、情報や資源=手段の共有化、平等化、並列化を実現すればするほど、かけがえのない、他のものとは異なった、唯一特異的な行為主体が生じてしまうこと」とされています。これは、パッと見て、意味がわからなかった。そんなことあるの?って感じでした。しかし、ここで言う「唯一特異的な行為主体」とは、GoogleやiTMSやはてなそのもの、を指せる、指している、のかもしれない。