すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

嫌ならそう言って。でも無視するかも。

「嫌なら読むな」ってのがあるんですが。でも、あれですよね。「でももう読んじゃったの! で、嫌だったの!」っていうときは、どうしたらいいのかということがあるわけです。だって食べてみなきゃそもそも旨いか不味いかわかんないじゃんね、という。そういうわけで、このブログのコメント欄は誰でも書けるようになっています。読むなとか言わない。というか無理でしょう。だから文句があったらコメントに書いてね、という。

でも、書いたら必ず応答するのか、改善するのか、あるいは謝罪するのか?というと、そうではないです。ひととおり読んではいますけど、特に「お前はここがおかしい」というような指摘のコメントは、たいていが「ふーん」ですね。「で、それで?」ですね。だってこっちは別に正しさを求めているわけでもないし、議論したいわけでもないもんなぁ。自分の理屈でなにかをうまく説明できて、それがいくらかの人に届いて、届いたよ、って声が聞ければそれで充分なんですよ。もちろんおおむねおなじ方を向いてる人からの指摘は(もっぱら自分のために)役立てようとしますけど、ぼくは自分の進みたい方向をイメージできていますので、そうじゃない方を見てる人から「間違ってる」とか言われても、どうでもいいよなぁ、という感じです。

というかむしろ、長文のお怒りコメントとかトラックバックとか頂戴すると、「来たな来たな!」って嬉しい。だってそれは、やっぱり、そのエントリは誰かをしてそれだけの文章を書かしめるだけの何かを持っていた、ってことですから。内容はともかくとしても(まぁ、Google様だって内容まで見ちゃいまいよ)。以前、お前はそんなこと主張して評価されると思っているのか?みたいなコメントくれた方がいましたが、違う。ぼくの嬉しいのは「評価」じゃなくて「反応」自体なので。あーでも、見ていただいてる“味方”のひとたちのほうが、この手のお怒りコメント見て心配していただいてる場合がわりとあるようなのですが、本人ほとんど平気なので平気です。

つか、反論をまともに取り上げないんじゃコメント付かなくならね?ってのもあるでしょうが、そこは、そういうひとはたいてい通りすがりですからねぇ、というのもありますね。まぁ、どうぞそのお怒りをきっちり吐き捨てて、サッパリしたところで通りすぎていただきたいなと。