すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

あなたが“自由意思”と呼んでいるソレの正体はなにか?

ちょっと思いついたんですが。ひまな人は考えてみてください。


あなたが街中を歩いていて、なにか「あ、これは欲しい」というものが目に止まったとします。ちょっと高いものがいいですね。で、悩みます。これを買ってしまうと云々。しかしここで買わないとかんぬん(って漢字ないのかな)。そして、10分ほど思案した結果、よーし買うことに決めました、とします。

さてここで時間を10分巻き戻すことにします。あなたは街を歩いていて欲しいものを見つけ、悩みます。云々かんぬん。で、結果はどうなるでしょう? ただ時間を巻き戻しただけなので、あらゆる条件は前回と変わりません。したがってあなたは再び、それを「買う」という結論に達することでしょう。(ちょっと「時かけ」ぽい)

しかしこれはおかしいと思いませんか? あなたは悩んで考えて自分で「買う」ことを選択した、と思っているのですが、ほんとうはそうではないのです。あなたの行動はいつも同じになる。なにも条件が変わらない以上、「買う」以外の行動は選択できないわけです。とすると、ここには実は“自由意思”なんてものの介在する余地はまるでない、ということになります。

逆に、行動が変わった、としても、すこしおかしな話になります。10分巻き戻してやりなおしたら、あなたは「買わない」ことを選択した。とするとそのとき、あなたの脳内の思考ルーチンには、何らかの、入力されたデータとはまったく無関係に働く回路が備わっていることになります。これがコンピュータなら信用できないですね。同じデータをインプットしたのに、計算させるたびに結果が違うなんてのは。


何度やりなおしても同じ結果になるなら、「人間には自由意思なんてない」ということになります。かといって、違う結果も選べるはずだ、ということにしたいのであれば、「原因が結果に結びつかないような回路」が脳内に存在することを想定しなくてはいけなくなります(まぁ、量子力学的ななにか、ですか?)。そして、たとえそんなものがあるとしたところで、その働きは「サイコロを振っているようなもの」です。すると「自由意思の正体は純粋乱数に過ぎない」ということなのでしょうか?