すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

軽くおへんじ

〈わたし〉うんぬんのエントリにいただいたトラックバックに対して。


bluesy-kさま

世界はトートロジーから成っているものかもしれませんよ(これについてはそのうち書くと思います)。「なぜ人を殺してはいけないのか?」の答えは、結局のところ「そのように(倫理・宗教・法律で)定められているから」でした。他にいろいろ挙げられているものはすべて「殺さない方がよい(かもしれない)理由」であって、けして「殺してはいけない理由」ではありません。

ちょっと断絶があるかもしれないが仕組みわかったら不思議じゃないのか?という疑問がわいた。

ここはすこし違いますね。「仕組みが解ったら」ではないです。たとえば、ふと時計を見たら、12時34分56秒だった。お?と思うかもしれないですね。でも、それが8時27分48秒だったとしても、どちらも同じように24時間のなかの1秒のはずです。ではなぜ前者を特別に感じ、後者はそうではないのか? 前者を特別に感じるのは時計を見る人の側がそのことになにか意味を見い出しているから、ですよね。わたしは〈わたし〉を特別扱いする意味を見い出せなくなったので、不思議じゃなくなった、ということです。


ichinicsさん

AさんとBさんが人工知能なら、同じマップになるはずですよね。入力が同じなのに出力が一定しないコンピュータはコンピュータと呼べないですから(現在の技術の延長線上に将来の人工知能があるとしたら、ですが)。人間の脳なら完全には一致しないかもしれないですが、マップの大半が一致、ということは充分考えられると思います。それを最後の双子の例で挙げました。

あと、ichinicsさんの考えている「わたし」は、みちアキから見るとまだ若干“属性”が付いてる、ちょっと大きいような印象がありますね。


ROYGBさん

いつもトラックバックありがとうございます。さて、(まえここに書いた記憶があるのですが)仮に、ここが攻殻機動隊な世の中で(好きだな)、みちアキの頭蓋骨の中にあるのは実はアンテナのみ、脳はどっかのマンションの一室にあったとします。でも、そのみちアキはきっと、「〈わたし〉は体の中にいる」と感じるでしょうね。なぜなら、目と耳(とそのほかのセンサー)は体の側にくっついているからです。というふうに、単に人は、感覚器官がついてるところに自我はある、と感じているだけじゃないかなぁと思います。

いえ、実際ほんとうに脳内に自我は「ある」のかも知れないですが。でも「ある」としたらどんなかたちで「ある」んでしょうね。脳細胞のひとつひとつにすこしずつ自我が「ある」、〈わたし〉がいるのでしょうか。それとも自我はよく言われるように、エンジンの動きやプログラムが実行中の状態、みたいなものなのでしょうか。そこはあまり考えたことがないので自分にもよくわかりません。