すべての夢のたび。

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善い幸福と、そうでない幸福?

シム宇宙の内側にて : 外部からの規定なき幸福の問題点


fw0さんからトラックバックをいただきました。ありがとうございます。以前ぼくが書いた「幸福とはなにか?」というエントリを見たことが執筆動機、とのことです(=直接の反論ではない)。

まとめると、「幸福に外部からの規定は不要」 との立場で最大多数の最大幸福を求めるなら、最善の手法は高性能麻薬の開発だ、ということになります。全ての人をベッドに寝かせてテーラーメイド麻薬を投与し、看護ロボットか何かに人々の健康維持管理を任せてしまった状態こそが、全ての人が最高の幸福を味わえる状態なのですから。

しかし、このような世界が正しいとは、私には到底思えません。と言うわけで、繰り返しになりますが最後にもう1度。私は、「幸福には外部からの規定が必要」 だと思っています。


「麻薬で得る幸福」は、“善い幸福”ではないとのご意見のようです。ふむ。なぜそうお考えになるのかが示されていないので、いまのところはなんとも言えません。「到底思えない理由」は続編のエントリでは書かれるのかな? 楽しみにしています。こう攻めてくるかな〜?という予想はあるので、できたら裏切って欲しい(笑)。

あとぼくは「最大多数の最大幸福」なんか求めません。求めるものはぼく自身の幸福です(っていうか、すでに手に入ってるけど)。ぼくだけが幸福であればいい、というのではなく、もちろん、まわりの人も幸福であった方がベターなんじゃないかとは思いますが、まわりの人が幸福でないからといって、ぼくも引きずられて幸福でなくなる、ということはありません。それらは互いに独立したものです。あ、でも、「最大多数の最大幸福」を求める人、のことは好きですよ。


そういや以前、「人生はゲームであることを忘れていたい人たち」というエントリで、こんなことを書きました。

プレイヤーというものは、どういうわけか、経験値が倍になるアイテムなら喜んで使うくせに、50倍になるアイテムなどは欲しがりもしないものなのだ。矛盾しているものなのだ。いつだって楽をしたいのに、そのくせ苦労して手に入れたものでなければ価値がないとどこかで思っているのである。


したら、いやそんなアイテムあったらどんどん使うでしょ、ってfromdusktildawnさんとp_shirokumaさんから反論もらったっけ。あ、fw0さんからも(別の視点からの)TBいただいてましたね。