すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「平和のイメージ」が貧しすぎて退屈にしか思えない

キリスト教で不思議なのは、天国に行けるよう信者たちはがんばっているのに、その天国にあまり魅力がなさそうなところだ。……と思ってここにキリスト教の天国はどんなところか書きたかったのだけど、聖書にはちゃんとした記述はないらしい。なので、ぼくのイメージだ。まぁ、宗教画に描かれているようなかんじ。色で言えば青と緑と白。花が咲いてたり天使が飛んでたりする。暖かで空気も澄んでいて風も心地よい。どこかからパイプオルガンの演奏や鳥の声が聞こえてきたりする。目に映るもの全てを美しく感じ、気持ちも穏やかなまま。そういった場所で、最上級の紅茶とクッキーをいただきながら、皆でおしゃべりに興じるのだ。永遠に。時には白いヒゲのおじいさんも交えて。

どうも退屈そうだ。ほんとにこんなとこに行きたいんだろうか? まぁぼくのイメージなので、キリスト教徒の人が考えているのは全然違うのかも知れないけど。ちなみにイスラム教のコーランには天国がどんなところかちゃんと書いてあるらしい。飲んでも飲んでも頭痛がしないお酒、おいしい果物と肉が食べ放題。そして有名な「72人の処女と交われる」ってやつ(これから「処女」を引いたらキリスト教の天国になるんじゃないか?)。まぁ、おなじように、退屈そう。いずれにせよ、昔むかしの素朴な人たちなら騙せそうだけど、今の世にこんな「天国」が通用するんだろうか?と思う。けれども、キリスト教もイスラム教もなぜか大人気なので、それをとても不思議に感じるのだ。「永遠」だよ? 恐ろしくないの?


しかし翻って考えてみると、ぼくが持っている「平和」のイメージも、実はぜんぜんたいしたことなかったりもするのだ。えっと、戦争がなくて、えっと、飢えている人もいなくて、あと環境問題もないです。「それから?」 それから――貧富の差もない。「人々は働いているの?」 わからないな……ロボットが働いているのかも(笑)。「途上国も先進国並の暮らしなの?」 わからない。…あ、でも、人々は自然の多い場所に住むことを選べる、かもね? そうして、たいした心配事も悩み事もなく殺人も強盗もないのでTVからは良いニュースしか聞こえてこないのんびりした日々がずっと続く。あ、もちろん、人種問題とか女性差別とかその他マイノリティの問題も解決してます(と、取って付けたように)。宗教間の対立もなくなってるけどどういう形で解決したのかは謎です。

……みたいな?(笑) 小学生レベルだけど、これがぼくの「平和」のイメージだ。なんという貧しさ。それが、そんなところがはたして目差す地平なんだろうか?と思う。


そして、そんな地上天国のプレステでGTAはプレイできるんだろうか、と思うのだ(キリスト教の天国では、間違いなくGTAはプレイ禁止だろう。そもそもまずプレステがあるかどうかだが)。戦争のない世界で、ウォーシミュレーションは成立するのだろうか。FPSでばんばん人を撃ち殺しまくっても良いのだろうか?

ゲームの中のことだろうか。戦争文学の名作は、傑作とうたわれた戦争映画は、戦争のなくなった世界でその価値を減じたりしないのだろうか。アニメや漫画はどうだろう?(「諸君、私は――」) 敵と、味方が、こちらとむこうが、あるいはただ対立するもの同士が、お互いの大事ななにかを賭けて、たたかう。ということの意味。それが理解できる(と信じている)のは、実に、リアルな戦争が現にこの世界にあるからじゃないんだろうか? 既に争いのなくなった世界に生まれた世代が、例えばそういうゲームをプレイしたり、映画を見たり漫画を読んだりして、いまのぼくと同じような感動を得られるだろうか?と思うと、ちょっと無理なんじゃないかなぁ思うのだ(そもそも「禁止」になってたりしないとして、の話だが)。いや、学校で昔の戦争の悲惨さ・痛ましさをちゃんと教えるようになってるかなぁ。そしてその知識をもってして、戦争ゲーム映画漫画を「楽しむこと」ができるようになったりするんだろうか?

そういうことを考えると、いまのぼくの位置は、かなりいいんじゃないかと思うのだ。ここは「戦争のない世界」ではなく、「戦争のある世界の、戦争のない国」。戦争を題材にしたゲーム映画漫画その他が楽しめるのは、ほんとうの戦争がここにないからだろう。それにほんとうの戦争について安全な場所から議論を戦わせたりすることもできる。無関係な他人の死に涙を流したりもできる。とてもいいポジションだと思う。退屈そうな天国よりずっといい(し、地獄よりもいいのは言うまでもない)。

これは「希望は、戦争。」ではない。ぼくは戦争を望まない。ぼくの好きなのは、「戦争を望まないこと」だ。世界から争いをなくしたい終わらせたいという、その意志と姿勢に、良いもの・美しいものを感じとるのであり、だから逆に、それを望まないためにこそ戦争の存在が要請されるのだ。ここではないどこかでの。


最後は戦争の話ばっかりになってしまったけど、これは世界のあらゆる問題に関して、おなじことだと思う。そしてまぁ、ぼくが生きている間にそういった問題が綺麗に解決されることもまずないだろうから、心配のしすぎというやつだろうとも思う。