すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

言語の本質ってなんだろう

tokyocatさんのエントリにコメントしようと思ったけどやや長くなりそうなのでこちらで。

東京永久観光 : 否定や疑問こそ言語の本質ではないか

「シンボル性こそ言語の本質である」という話があって、なるほどそうかな、と一瞬納得しそうに思ったんですが、でもどうなんだろう。

言語っていうのは、要するに「何か【について】語ることができるもの」のことであって、だとすると、シンボル性っていうのは、言語の本質というより、言語の機能そのもの、定義そのもの、むしろ言語そのものみたいなものではないでしょうか。

例えば、言語が、"言語"【について】語る場合、それは「再帰性」といわれ、何か【について】"存在の様式"を語る場合、疑問や否定の形が立ち現れてくるんじゃないのか。つまりぼくは、「シンボル性」と「再帰性」ってレベルが違うところの話なんじゃないかと、そういう気がするのです。「再帰」や「否定や疑問」はメタレベルなんじゃないかと。

で、先日読んだすごい本、"単純な脳、複雑な「私」"にでてきた話なんですが、うろおぼえですが、数の概念を持つ、と言われている動物(まぁ、お猿とか)ですけど、数を再帰的に理解しているわけでは、やはりないらしい。2を1+1、3を2+1と考えているのではなく、1と2と3を全て別のものとして区別しているらしい、と書かれていました。このあたり、チョムスキーさんの見抜いてるものは鋭いのでは、という気がします。まぁ、言語の本質が再帰性である、とするなら、お猿の使えるそれは言語とは呼ばない、っていう定義だけの話かも知れません。再帰っていう飛躍を人間がどこで手に入れたのかは気になりますけど。

ここ最近tokyocatさんがこういったエントリを続けてupされてるので刺激を受けます。いやー自分もなんか書けよとか思うんですが。