すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

では、ロボットに自由意志を与えるには、何を与えればいいのか?

日本語が変? 先のアンケートの時に「そもそも自由意志って何よ?」ってツッコミがいくらかありました。しかし、大方の人の頭の中には"自由意志"について何らかのイメージがあったので、それに基づいて、それは存在するのかしないのかを答えていただいた、ということだろうと思います。今日はそのイメージを具体化できるのか、少し試してみたいと思います。


ということで、ソレをロボットに与えることを考えてみます。ロボットなので、多分、人間の脳が搭載されたりはしていません。コンピュータ、人工知能、のようなものが載っていて、それは人間の手によってプログラミングされたものだ、としてみる。

で、このロボット君に、なにか課題を与えます。対人でのジャンケンでも、対コンピュータでの将棋でも、AさんBさんの話を聞かせてどっちが可哀相か判断させるのでも構いません。

では、今回は将棋をやらせるとします。ロボット君は今までの相手の指し方や自分が記憶している定石集や過去の対戦データなどを参照し総合して判断し、次の指し手を決定します。さてここで、ある程度まで進んだところでロボット君をリセットして、また最初から指し直させたらどうなるか? 全ての条件が一緒(かつ思考ロジックにランダム性がない)なら、指し手はまったく同じになるはずですよね?

何度リセットしても、ロボット君は同じ指し手を繰り返します。ではこのとき、彼を見ている人はそこに「自由意志がある」と感じるでしょうか? 感じないですよね。みな彼はプログラムに従って動いている、と考えると思います(実際そうなのですが)。

さてここで俺登場。というかぼくが現れて、ロボット君にブラックボックスを取り付けます。するとどうでしょうか。彼は時々考え込むような素振りを見せたり、時には今までと違う手を指したりし始めたではないですか! さてはあのブラックボックスこそが自由意志の素なのか……ということはもちろんなくって、ぼくはただ箱の中に「ときどき、適当な秒数だけ止まるタイマー」と「ときどき、1番いい指し手をわざと外すロジック」を組み込んでおいただけです。

人の自由意志もそんなもんだよ、という話ではないです。しかし、ではそもそも私たちが「自由意志がある」と感じるのは、なぜなのでしょうか? ロボット君と異なり、私たちは、選択することができる。同じ条件でも、よく考えた上で、適切な決定を下すことができる、ということでしょうか。

でもちょっと考えて欲しいのですが、私たちの脳だって、ロジックに従い、物理法則に従って動いているわけですから、あらゆる条件が同じであれば、判断も同じであるはずです。あの時と今回で違う判断を下した、ということであればまさにその「あの時」と「今回」という条件が違うのです(あの時の記憶があるとか)。それにもし、あらゆる条件が同じなのに判断が異なることがある、とするならば、その判断を変えることが可能なものには、いったい何があるでしょうか? ぼくには「何らかのランダム性」しか思いつきません。量子の不確定性がマクロレベルにまで拡大したとかね。しかし、それって自由意志って呼べるものですか? ただの脳内サイコロではないのでしょうか?


私たちは、自分で物事を考え、判断を下すことができると信じている。ですが、実際には、下される判断は最初からひとつに決まっているのではないでしょうか? ただ、人生ではまったく同じ場面は二度とないし、自分が下す判断をあらかじめ知ることもできないし、思考プロセスの全てを明確に意識することもできない。そのために、「自由に決めた結果が実はいつも同じである」ことに気付けないだけで。そう、これらのことを知らなければ、もし全ての運命が初めから定まっていたとしてさえ、なお自由意志の存在を感じることができるはずです。

要するに自由意志とは「自分で考えて決めたんだっていう、このキモチ」以上のものではないのではないでしょうか。それさえあれば、実際ほんとにそうなのかどうなのか、世界は決定的なのか非決定的なのかとか、全然カンケーないのでは?とぼくは思います。



ところでそういう話なので、そもそもロボットに自由意志を与えようと思ったら、まず自己意識を与えることが必要ですね(笑)。でもおそらくそんなものなくても、自由意志があるかのように振る舞うことは充分可能なはずですが。