すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

Twitterについてのメモ

ぼくは始めて2ヶ月ちょっとだし100人もフォローしていないし、なので、Twitterの全貌はまだぜんぜん掴めていないけれど、ぼんやりとイメージはできつつあるので、語るアイデアの種をちょっとメモ。

戦闘力

Aさんが100人からフォローされていたとして、その100人にもまた100人ずつのフォロワーがいたとする。この時の100×100の1万という数字を「AさんのTwitter戦闘力」と見なせそう。

隔たりの次数

「六次の隔たり」というのがある(ウィキ)。知り合いの知り合いの知り合いの…ってやってくと、だいたい6ステップぐらいで地球上の全員がつながる、ってやつ。Twitterは確実にこの次数をちいさくしている。Twitterのアカウントがあるということは「@を送られることに同意している」と見なせるから、ユーザ間の次数は1次なわけです。それを「知り合い」と呼ぶかは別にしても、今まで数次隔たっていた人にダイレクトでメッセージを送れることは事実。地球を覆っていた「知り合いの知り合いの…」メッシュのトポロジー構造が、あちこちでギュっと潰れて小さくなってるに違いない。

炎上耐性

Twitter的なるいくつかの要素が組み合わさり、炎上しにくいような仕組みになっている気がする。制約によりメッセージそのものが短いこと。対する反応も、長くしようとすれば外部サービスに頼るほかないこと。匿名で書けないこと。数人が絡むと途端に時系列を追いにくくなること、等々。要するに「燃えそうなゴミが集積しにくい」構造なんじゃないかなーと。反割れ窓理論的。でも誰かが「まとめ」ちゃって、ブクマ付いちゃう例はありましたけどね。そういう、見通しを良くするサービスへの欲求は抑えられないのかも。システム的にわざとあいまいで適当なふうにしてるように見えるところが面白いとは思うんですが。

独我論と性善説

上とも絡む。実はみんながみんな違うタイムラインを見てるんですよね。フォローしている人も違えば、飛んでくる@も違うわけで。ぼくにはAさんとBさんの会話に見えるものも、実はAさんのタイムライン上ではぼくがフォローしてないCさんも加わってたり。見ているものが皆違う。なのに、特に破綻もせずゆるやかに繫がってそれなりにうまく回ってる(やっぱり極端なサービスなので現実世界が濃縮されてるように見えますね)。

で、なんでそうなるかというと、そんな環境で生き延びるためには、自らがオープンであり、相手を信頼することが必要なんで、みなそうしてるからなのかなーと。そういうシステムだから自分もそう振る舞うしかないという。実にアメリカっぽい気がしますこのへん(そのうち「挨拶すべし!」とかルールできるのかもですけれどw)。

逆にぼくのような黒い人は、じゃーこのシステムのどこらへんを突っつくともにょもにょしたことになるのかなーとか、想像するのも楽しいのですが。先のエマ・ワトソン死亡騒ぎとかいろいろ示唆してくれる。