すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

まーだ「自己責任ではない」だとか言ってるのかー

「痩せる」「疲労回復」「ガンに効く」などという健康食品は薬事法にひっかかるのだけど、「年収が10倍になる」「必ず成功する」「全てがうまく回り出す」などとうたうビジネス書は、本を買って実際そうならなくても詐欺罪で訴えることはできません。もちろんそのわけは「そうは言っても、読んだ人の実践にゆだねられている」からです。つまり「成功は自己責任」なのです。

でもなぜか失敗は自己責任じゃないのだそうです。この非対称性はふしぎですね。ぼくが何かをして、うまくいったらそれはぼくが努力したおかげであり、でもうまくいかなかったら他人のせいなのです。素敵に都合のいい話です。

けれど成功した人たちの話を聞く限り、みな口を揃えて「自分の力だけでここまで来たのではない」と言います。周囲の人たちに助けられ、あるいは、なにか不思議な力/偶然が働いて、成功することができた、と感謝のことばを述べます。

それは外向けのインタビューだから? ほんとうは成功者もみな、自分の力でやり遂げたんだ、と心の底では思っているのでしょうか?


成功と失敗、および原因の所在が自分か他人か、これを組み合わせると4つの立場ができます。

  1. 成功は他人のおかげ、失敗は自分のせい
  2. 成功は自分のおかげ、失敗も自分のせい
  3. 成功は他人のおかげ、失敗も他人のせい
  4. 成功は自分のおかげ、失敗は他人のせい

ぼくの感覚からすると、いちばん美しいと感じるのは、1です。いちばんそう感じないのは4です(2と3は、どちらがいいのかよくわかりません)。でも、4は、いまの世間にうっすらと蔓延している思想をあえて言葉にしてみたもの、ですよね。

ぼく自身の立場は2かなと思います。みなさんのおかげです、とか、そんなに謙虚にはなれない(ただ口ではそう言うと思います)。しかし、失敗を他人のせいにしたりは、したくないですね。それは美意識に反します。失敗は自己責任、と、ぼくは考えます。もし仮に、小説でも映画でも漫画でもいいですけど、1な男と、4な男がいたら、ヒロインはどちらを選ぶと思いますか? そんなの、自明、ではないですか? これはそういう話なんですよ。(染み付いた古い価値観であるが故に、否定しきった行動は取れないということです)

それともこの現実が空想以下である、所詮空想にすら及ばぬつまらないものである、ことを認め受け入れて生きていくんでしょうか? (それとも、この価値観を、ひっくり返せるのでしょうか?)


ただ、もう、生きていくのでギリギリであるとか、心身共に崩壊寸前であるとかの人が、一時的に、自分のことを防御するために、この失敗は他人のせいである、とするのは、別に構わないと思います。けれどその窮地を脱したら、いままでの状況は自分が招いたことだとして、振り返り反省したほうがいいのではないでしょうか。そしてそれほどの危機的状況にも至ってない人が他人のせいにしているのを見ると、なんだかなぁ、とぼくは感じます。


反論は、ありそうなんですけど、でもぼくが思うにネットを使え(て反論でき)てるというだけでなんかの水準はクリアできちゃってるわけで、ほんもののてーへんなひとじゃないなー、って思うんですよね(他人への想像力が溢れまくりなのでぜひ代弁させていただきたいのかも?)。ぼくに言わせりゃ成功者ですよ、日本に住んでる日本人であってネットが使えてんなら、超余裕でこの地球に住む70億の人間の上から5%には入っちゃってますよ。ハナっから成功してしまっている。

そういう、自分で成し遂げたのでないことは、成功、と言いたくないのかな。言わなくてもいいけど、(世界でも上から数えた方が早い)日本人のほとんどを占める「ふつうの人」が、ふつうに送る一生で良しとできないんだったら、最初に設定した基準の方になにか問題があるんじゃないのかなー、とぼくは思います。